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高岩 竜一(たかいわ たつひと、1972年7月5日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名(通名)は同じ漢字で「たかいわ りゅういち」。京都府亀岡市出身。ZERO1-MAXを退団しフリーランスとなった。ジュニアヘビー級きってのパワーファイターで「超竜」の異名を持つ。在日コリアンであることを告白している。 == 来歴 == 1992年、専門学校在学中に新日本プロレスの入団テストに合格し同年にデビュー。同期入門には現在まで続く盟友・大谷晋二郎がいる。以降ジュニアヘビー級を主戦場とし、主に大谷や金本浩二と組んで獣神サンダー・ライガー、エル・サムライ、ケンドー・カシンらの他、WARやみちのくプロレスの選手らと激戦を繰り広げ、1998年8月8日には初代IWGPジュニアタッグ王座を大谷と共に獲得。1990年代のジュニアの黄金期の一角を担う。ニックネームである「ジュニアの超竜」は、ジュニアヘビーを超えたパワーファイトがスコット・ノートンを彷彿させるため、週刊ゴング編集長の金沢克彦が「竜一」と引っかけて、そう名付けた。 2001年に大谷と共にZERO-ONEに移籍。ヘビー級に転向した大谷とは対照的にジュニア戦線に留まり、対抗戦などでも活躍を遂げている。 2004年4月30日の、ZERO-ONE後楽園ホール興行での天下一Jr.決勝にて、優勝後のインタビューで自分が在日コリアンであることを告白している(試合前には、日本と韓国の国歌が演奏されていた)。そして、在日コリアンであることを誇りに思うと共に、日本で生まれ育ったことから日本人としての誇りも持っていることを観衆にアピールした。この高岩の行動に対して、会場にいた観客は喝采を送った。 2004年10月17日ZERO-ONE札幌大会、星川尚浩戦では金網最上段から雪崩式パワーボムを投げ急性硬膜下血腫を引き起こした。 2006年12月23日、NOAH・ディファ有明大会で杉浦貴を破り、5年ぶりにGHCジュニアヘビー級王座を獲得。2007年2月18日、AWA世界ジュニアヘビー級とのダブルタイトル戦で日高郁人を破り2冠王となった。 2008年12月17日の新宿大会後に退団を表明。ZERO1-MAX側も了承し契約が解除されフリーとなった。 2009年2月15日に新日本プロレスにおいてタイガーマスクを襲撃、4月5日以降参戦しているブラック・タイガーの正体であると言われており、タイガーマスクや観客の反応や声、マスク越しに見える顔などからも明らかに本人と分かる。 2009年2月より大日本プロレスのコーチに就任し、9月28日の大日本後楽園大会では高岩竜一として半年振りに試合を行った。また同月に旗揚げされたプロレスリングFREEDOMSにも代表の佐々木貴に声をかけられる形で参戦し、現在はレギュラーで出場している。 2011年5月、闘龍門のドラゴマニア・メキシコ大会にて、ウルティモ・ドラゴンとブラック・タイガーで、マスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎ)対決し敗戦。ブラック・タイガーのマスクを脱ぎ正体が高岩と正式に判明。 現在は、素顔とブラックタイガー5を使い分けて、様々な団体のリングに上がっている。また、格闘技ジム「S-KEEP」でインストラクターとしても働いており、2012年に行われた自身のデビュー20周年記念興行にはS-KEEPとFREEDOMSが協力している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高岩竜一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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