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お由羅騒動(おゆらそうどう)は、江戸時代末期(幕末)に薩摩藩(鹿児島藩)で起こったお家騒動。別名は高崎崩れ、嘉永朋党事件。藩主・島津斉興の後継者として側室の子・島津久光を藩主にしようとする一派と嫡子・島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされた。 == 背景 == 事件の名前になったお由羅の方は、江戸の町娘(三田の八百屋、舟宿、大工など多数の説がある)から島津斉興の側室となった人物である。彼女が息子・久光の藩主襲着を謀り、正室出生の斉彬廃嫡を目したことが事件の原因とされる。 しかし、これはただお由羅が望んだだけのことではなく、祖父・重豪の影響が強い斉彬を嫌っていた斉興や家老・調所広郷などの重臣達の方が久光を後継者にと望んでいたとされる。彼ら久光擁立派は、重豪同様の「蘭癖大名」と見られていた斉彬がこの頃ようやく黒字化した薩摩藩の財政を再び悪化させるのではと恐れていたのである。 それに対し、斉彬の早期の家督相続を希望していた勢力もある。壮年の斉彬にいつまで経っても家督相続せず倹約ばかりを強いる斉興へ反発を感じる若手下級武士や、斉彬を高く評価する阿部正弘である。琉球を実効支配し、外洋にも面していた薩摩藩はこの当時多発していた外国船の漂着・襲来事件に巻き込まれる事が多々あった。このため、西洋の事情に疎い斉興より海外事情に明るい斉彬の藩主襲封が望まれたのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「お由羅騒動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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