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高嶋 活士(たかしま かつじ、1992年12月2日 - )は日本中央競馬会(JRA)に所属していた元騎手。 == 略歴 == 競馬学校騎手課程第27期生。同期に嶋田純次、杉原誠人、花田大昂、藤懸貴志、森一馬、横山和生がいる。 2011年3月1日、美浦トレーニングセンターの柴崎勇厩舎所属の騎手として免許取得。 同年3月5日、中山競馬第3日第5競走で初騎乗(オペラフォンテン、4着)。デビュー年は騎乗機会103回のうち、2着4回が最高で初勝利を挙げることができなかった。 騎乗機会を確保する事から、翌2012年からは障害競走にも騎乗を始める(初騎乗は同年3月3日、メジロテンニョ、7着)も勝利に恵まれず、同年8月30日付で所属していた柴崎厩舎を離れてフリーランスとなる〔高嶋活士騎手、フリーに 2012年8月29日 netkeiba.com〕。同年も初勝利を挙げることはできなかった。 2013年2月9日、東京競馬第4競走・障害未勝利戦でアバディに騎乗していたが、同馬が障害をうまく飛び越えることができず、並走馬に接触する形で落馬。高嶋は多摩市内の病院へ緊急搬送された〔障害レースで高嶋活士騎手(20)が落馬負傷、都内の病院へ緊急搬送 2013年2月9日 netkeiba.com〕。同月19日、JRAは高嶋について、頭部外傷、脳挫傷、右鎖骨骨折と診断されたことを発表した〔高嶋活士騎手、脳挫傷と診断 2013年2月19日 netkeiba.com〕。この2013年2月には、高嶋の他にも同期の花田・藤懸が落馬負傷し、森も2012年11月時点で既に負傷で休業していた。この結果、2011年騎手デビューした若手騎手は、高嶋と栗東所属者3名全員のあわせて4名が2013年2月に長期の休業を余儀なくされるという異常事態となっていた(のちに花田は同年3月、森は同年5月、藤懸は同年7月に騎乗を再開している)。 その後、意識を回復した高嶋は3か月半後の同年5月12日、東京競馬場を訪問。杖を使用しながらぎこちない歩行の状態でありながらも「まだ入院中できょうは外出許可を得て来ました。焦っても仕方ないので、じっくりとリハビリして、しっかりと治して復帰したいと思っています」と語り、復帰への意欲を示した〔療養中の高嶋活士騎手が復帰に意欲 2013年5月13日 サンケイスポーツ〕。 その後、騎乗再開を目指し2014年、2015年と騎手免許を継続更新。しかし2015年4月当時においてもリハビリの日々が続いているため、復帰はおろか調教騎乗再開の目途すらたっていなかった〔かつじ頑張れ ホースマンDays 2015年4月7日 競馬ラボ〕。そこから約半年後の同年9月30日、復帰叶わず同日付で騎手免許を返上、引退することがJRAから発表された〔高嶋 活士騎手が引退 - JRAホームページ 2015年9月30日〕。引退後の進路については、不祥事により引退した騎手を除けば、池崎祐介(2012年引退)などと同様に公表していない。 通算成績は、244戦0勝(うち、障害39戦0勝)で、競馬学校騎手課程卒業の騎手では、谷口一明(1期生)、大沢辰也(17期生)に続き、3人目のJRA競走未勝利で引退した騎手となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高嶋活士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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