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高 従誨(こう じゅうかい)は、十国荊南の第2代王。武信王高季興の長男。 == 生涯 == 乾貞2年12月15日(929年1月28日)、武信王が死去するとその地位を継承した。武信王の末年はこれまで臣従していた後唐との関係に亀裂が生じており、呉に対して臣下の礼を取っていたが、後唐と呉の国力の差を考慮し、即位した文献王は後唐に帰順する政策を採用し、後唐から荊南節度使兼侍中に任じられ、長興3年(932年)には渤海王に封じられている。更に応順元年(934年)には南平王に冊封された。 荊南は地理的に狭く、また兵力も十分でなかったが、当時の交通の要衝であり、毎年各地方から中原へ朝貢する使者が通過する場所であった。武信王、文献王は使者を襲い財物を略奪する行為を繰り返し、使節を派遣した政権が報復攻撃に出るや奪ったものを返還していた。 その後、後唐、後晋、遼、後漢が先後して中原を割拠し、南漢、閩、呉、南唐、後蜀がすべて皇帝を称したのに対し、文献王はそれらの臣下としての立場を堅持したため、他国より高頼子あるいは高無頼と呼ばれることとなった。 乾祐元年(948年)に死去、享年58。尚書令と文献王の諡号が贈られ、三男の高保融が地位を継承した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高従誨」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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