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高志内親王(こしないしんのう、延暦8年(789年) - 大同4年5月7日(809年6月23日))は、第50代桓武天皇の皇女。母は皇后藤原乙牟漏。淳和天皇親王時の妃。同母兄に平城天皇、嵯峨天皇。贈皇后。贈一品。 桓武天皇にとって、皇后所生の唯一の皇女であり、桓武天皇鍾愛の皇女といわれる。延暦23年1月5日(804年)三品。異母兄大伴親王(のちの淳和天皇)の妃となり、延暦24年(805年)第一皇子恒世親王を産む。他に氏子内親王(斎宮)、有子内親王、貞子内親王の3皇女をもうけた。大同4年(809年)、21歳で薨去。のちに弘仁14年(823年)、淳和天皇の即位に伴い、皇后を追贈された。 所生の恒世親王は、両親とも桓武天皇の皇子であり、血筋の上では有力な皇太子候補であった。しかし、父淳和天皇は自身の皇太子として嵯峨天皇皇子の正良親王(仁明天皇)をたてた。恒世親王は父淳和天皇在位中の天長3年(826年)に薨去し、皇位継承にかかわることはなかった。高志内親王の死後、嵯峨天皇皇女正子内親王が淳和天皇皇后となり、所生の恒貞親王は仁明天皇の皇太子にたてられたが、承和の変により廃太子となった。 == 参考文献 == * 服藤早苗『歴史のなかの皇女たち』(小学館、2002年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高志内親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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