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高敞飛行場(コチャンひこうじょう、)は、大韓民国全羅北道高敞郡興徳面にあった東洋機電所有の飛行場である。2007年に廃止され、跡地は太陽光発電所「高敞ソーラーパーク」に転用された。 ==歴史== ===三美時代=== 特殊鋼製造を中核事業とする韓国の財閥である三美グループは、1980年代中盤から事業の多角化を進めていた〔第139号、1992年6月25日、58-59ページ。〕。韓国では1986年以降、政府が航空産業への参入制限を緩和したことから、各財閥が争って航空産業への投資を始めていた。航空機向け鋼材の製造で関連のあった三美も1988年に航空関連事業への進出を表明し、1989年5月にイタリアの航空機会社アグスタとの合弁で三美アグスタを、1990年2月には三美航空を設立した。三美は航空機製造工場を建設するため全羅北道高敞郡興徳面に用地を取得〔第8410号、1990年10月11日、7面。〕、飛行場施設の整備が開始され、1991年9月には滑走路や駐機場が完成した。 しかし、投資が進む一方で三美の航空事業を巡る状況は悪化していた。1990年7月、商工部は軍需分野を担当し、重点的に育成していく航空事業者3社を選定したが、三美は選定されなかった〔第21341号、1990年7月20日、10版、6面。〕。このことも要因となって〔“Agusta May Withdraw From Sammi Venture”, ''The Asian Wall Street Journal'', Vol. 16 No. 37(October 22, 1991), p. 3.〕、アグスタは三美との合弁を解消することになった。1992年1月には、三美が飛行場を使用して飛行訓練事業を開始する、と報じられたが、騒音を懸念した周辺住民による反発が大きく、数日後には事業を撤回せざるを得なくなった。この年には三美の資金難が明らかとなり、三美は傘下企業の整理や保有資産の売却を余儀なくされた。高敞に確保していた工場用地や飛行場も売却の対象となり、飛行場については後に使用休止の手続きが取られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高敞飛行場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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