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高木仙右衛門 : ミニ英和和英辞書
高木仙右衛門[たかぎ せんえもん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [せんと]
 (n) cent
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

高木仙右衛門 : ウィキペディア日本語版
高木仙右衛門[たかぎ せんえもん]
高木仙右衛門(たかぎ せんえもん、文政7年2月12日1824年3月12日) - 明治32年(1899年4月13日)は江戸時代末期から明治時代における浦上キリシタンの中心人物。
== 略歴 ==
肥前国西彼杵郡浦上山里村本原郷辻(現・長崎県長崎市辻町)に生まれる。慶応元年(1865年)の大浦における信徒発見後、自分の家を秘密聖堂(聖ヨゼフ堂)とし、浦上の伝道士として活躍する。
慶応3年(1867年)の浦上四番崩れにおいて、信徒82人とともに捕縛され〔当初は68人で、後に自葬者も含め、仙右衛門と他の信徒を合わせて83人となった。〕、投獄。拷問の末、仙右衛門を除き全員が転ぶ事を誓う。浦上の庄屋の家に留め置かれた後、桜町の六番牢に入れられ、さらに小島の牢屋に移されたという。そして浦上や外海等に住む数千人〔正確な人数は明らかになっていない。〕の信徒が配流された際に、仙右衛門も津和野へ流される。
明治6年(1873年)2月24日の禁教令の解除により解放され、故郷に帰る。帰郷後、伝道士として赤痢患者の救護や孤児救済事業に全財産を投じ、教会建築にも尽力する。明治32年(1899年)4月13日に75歳で死去。浦上四番崩れに関する体験談として、『仙右衛門覚書』を遺している〔『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』では、明治10年(1877年)にベルナール・プティジャン神父に迫害の実情を語った『高木家文書』と書かれている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高木仙右衛門」の詳細全文を読む




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