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高木兼寛 : ミニ英和和英辞書
高木兼寛[たかき かねひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 

高木兼寛 : ウィキペディア日本語版
高木兼寛[たかき かねひろ]

高木 兼寛(たかき かねひろ〔「けんかん」とも呼称される(有職読み)。〕、嘉永2年9月15日1849年10月30日) - 大正9年(1920年4月13日)は日本海軍軍人、最終階級は海軍軍医総監少将相当)。医学博士男爵東京慈恵会医科大学の創設者。脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。当時日本の食文化では馴染みの薄かったカレーを脚気の予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。
== 略歴 ==

薩摩藩郷士・高木喜助兼次の長男〔秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年、224頁。〕〔鹿児島市観光サイト よかとこ かごんまナビ/高木兼寛 〕〔高木 兼寛|宮崎県郷土先覚者 〕として日向国諸県郡穆佐郷(現・宮崎県宮崎市〔昭和の大合併前の東諸県郡穆佐村、昭和の大合併後から平成の大合併前までは東諸県郡高岡町。〕)に生まれる。通称は藤四郎。穆園と号す。18歳のときから薩摩藩蘭方医石神良策に師事、戊辰戦争の際には薩摩藩兵の軍医として従軍した。明治2年(1869年)、開成所洋学局に入学し英語西洋医学を学ぶ。明治3年(1870年)、薩摩藩によって創設された鹿児島医学校に入学すると、校長のイギリス人ウィリアム・ウィリスに認められて教授に抜擢された〔みやざき偉人伝ひむかの群像「脚気を撲滅したビタミンの父 高木兼寛」テレビ宮崎 2013年1月2日放送〕。
明治5年(1872年)、海軍医務行政の中央機関・海軍軍医寮(後の海軍省医務局)の幹部になった石神の推挙により一等軍医副(中尉相当官)として海軍入り。海軍病院勤務の傍ら病院や軍医制度に関する建議を多数行ない、この年に大軍医(大尉相当官)に昇進。
軍医少監(少佐相当官)であった明治8年(1875年)、当時の海軍病院学舎(後の海軍軍医学校)教官のイギリス海軍軍医アンダーソンに認められ、彼の母校(現キングス・カレッジ・ロンドン)に留学。在学中に最優秀学生の表彰を受けると共に、英国外科医・内科医・産科医の資格と英国医学校の外科学教授資格を取得し明治13年(1880年)帰国。
帰国後は東京海軍病院長、明治15年(1882年)には海軍医務局副長兼学舎長(軍医学校校長)と海軍医療の中枢を歩み、最終的に明治16年(1883年)海軍医務局長、明治18年(1885年)には海軍軍医総監少将相当官。海軍軍医の最高階級)の役職を歴任した。
明治21年(1888年)日本最初の博士号授与者(文学法学工学医学各4名)の列に加えられ、医学博士号を授与された。さらに日露戦争麦飯の有効性が注目されていた明治38年(1905年)には、華族に列せられて男爵位を授けられた。この時、人々は親愛と揶揄の両方の意味をこめて彼のことを「麦飯男爵」と呼んだと伝えられる(死去の直後に従二位勲一等旭日大綬章追贈された)。
明治25年(1892年予備役となったが、その後も「東京慈恵医院」「東京病院」〔有志共立東京病院とは別に高木が退役後設立した個人病院。高木の死後社団法人東京慈恵会に経営が移り、戦後東京慈恵会医院(東京慈恵医院の後身)と共に現在の東京慈恵会医科大学附属病院となっている。〕等で臨床に立ちつつ、貴族院議員、大日本医師会会長、東京市教育会会長などの要職に就いた。1914年(大正3年)3月1日に退役した〔『官報』第476号、大正3年3月3日。〕。大正9年(1920年)4月13日、自邸内で散歩中に脳溢血を起こして倒れ、死去した〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)164-165頁〕。
長男は医学者の高木喜寛、次男は医学者の高木兼二。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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