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高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )は、滋賀県野洲市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。 == 来歴 == 野洲市で生まれ育ち、小、中学校を地元の学校に通いながらサッカーを続けていた。高校時代は県下の名門・草津東高校で2年時からレギュラーとして活躍するが、全国的にはそれほど有名な選手ではなかった。この頃から空中戦には絶対の自信を持つようになる。1999年に当時、関西学生リーグ2部であった京都産業大学に進学。元々プロサッカー選手を目指すつもりはなく、大学卒業と共にサッカーをやめる予定だった。 大学1年時に清水エスパルスの練習に参加した際、ヘッドコーチ(当時)の大木武が足下の技術の非凡さに目を付け、2000年6月、シーズン途中に清水に加入する事となる。 清水入団後の数年間は出場機会も少なく、目立った活躍も出来なかったが、2004年にヴィッセル神戸に期限付き移籍、また翌年の清水復帰後はボランチなど別ポジションで起用された経験を糧に急成長し、2005年以降はレギュラーとして出場する。清水のディフェンスリーダーとして技術面だけでなく精神面でもチームを引っ張る存在へと成長し、2006年、2007年はチーム副キャプテン、2008年にはチームキャプテンを務めた。 2008年4月、日本代表候補合宿に初招集される。6月には怪我で離脱した阿部勇樹に代わりFIFAワールドカップ・アジア予選に向けた日本代表に初選出され、試合出場も果たす。 2009年よりガンバ大阪へ完全移籍で加入。移籍後初出場となった富士ゼロックス・スーパーカップで連携不足を露呈し、以後は出場機会に恵まれず、サイドバックでの起用や試合終盤での守備固めに投入されるケースが多かった。 翌2010年は、昨季のレギュラーだった山口智の負傷や復帰後の不振もあり、中澤聡太とコンビを組みセンターバックのレギュラーとして活躍。しかし、2011年はシーズン通して負傷離脱を繰り返し、レギュラーに定着できず同年限りでG大阪を退団。複数クラブからのオファーがあり、その中からヴィッセル神戸を移籍先に選択した。神戸でのプレーは7年半ぶりとなったが、リーグ戦9試合の出場に終わりチームもJ2降格となった。 2013年、大分トリニータへ完全移籍。阪田章裕とともにチーム副主将を務めたが大分は1年でJ2降格となり、高木自身は2年連続で所属クラブ降格の憂き目にあった。2014年は大分に残留。退団した宮沢正史の後任として主将に就任し、自身初のJリーグ ディビジョン2でのプレーを迎えた。1年を通じてスタメン出場を続けたがシーズン終了後に戦力外通告を受けた。 2016年1月7日にジュビロ磐田へ完全移籍する事が発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高木和道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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