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美濃衆(みのしゅう)は江戸時代の交代寄合(江戸幕府に代々仕えた旗本)。美濃国石津郡多良郷(現在の岐阜県大垣市)を所領としており、西高木家2,300石を筆頭に、東高木家1,000石、北高木家1,000石の高木氏3家からなる。伊那衆・那須衆・三河衆とともに美濃衆は交代寄合のうち「四衆」に分類される。 ==経歴== 美濃衆の苗字は「高木」であり、元々は1家であった。高木家の先祖は出身の大和国から、伊勢国、美濃国へ移動したと伝えられる。戦国期には織田信長の家臣として南美濃に土着した。慶長6年(1601年)、本家の西高木家(2,300石)、分家の東高木家(1,000石)・北高木家(1,000石)が徳川家康より美濃国石津郡・多良郡のうちに知行を受けた。徳川政権下ではこの三家を「美濃衆」と称し、交代寄合の旗本であった。美濃衆は一貫して知行地内在住するとともに、参勤交代を実施した〔「幕府権力の特質 交代寄合高木家を事例にして」伊藤孝幸、『愛知学院大学人間文化研究所紀要 人間文化 第14号』1999年09月〕。 美濃衆は少禄ではあるが領地内に在住して所領支配に当たった点では大名的な性格を持ち、また権力基盤としての経済力が弱小であったことでは旗本と共通の性格を持っていた。その他、「川通御用」の公儀の役務を負うことにより特殊権益を持っていた。このため、血縁関係の他、美濃周辺の諸藩や尾張藩とは親密な付き合いがあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美濃衆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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