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高木 海帆(たかぎ かいはん、1990年10月15日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は100kg級。身長182cm。現在はJRAに所属している。得意技は大内刈寝技〔「柔道全日本強化選手名鑑 2015」近代柔道 ベースボールマガジン社、2015年4月号〕。 == 来歴・人物 == 神奈川県川崎市出身。トルコ人の父親を持つハーフで、名前の「海帆(かいはん)」はトルコの神様から取ったもの〔上げ潮19歳、自然体で望む 大会最年少の東海大・高木 asahi.com 2010年4月28日記事〕。 オーストラリアのゴールドコーストで出生〔<世界柔道連載:東京経由ロンドン行き>1 日刊スポーツ特集、2010年9月8日配信〕、柔道連盟のプロフィールにはオーストラリア出身と書かれている資料も多数ある〔2009年 アジア選手権 柔道代表プロフィール (PDF)等参照〕。背筋力290kg、握力は両手共に約70kg、ベンチプレス145kgというパワーの持ち主〔。得意技は、大内刈、大外刈、内股、体落、横車、肩固。特徴は、右組の自然体で懐が深く組手が強い。柔軟で身体バランスが良く瞬時の体捌きが利き受けが強い。寝技は巨漢選手も苦にせず抑え込める。100kg級の柔道選手としては、理想的な体のフレームの持ち主だという意見もある。 地元の柿生青少年柔道会で7歳より柔道を始め小学校5年、6年と柔道会の年間最優秀選手に選ばれた。東海大学付属相模中学校から東海大相模高校に進学すると、1年の時にはインターハイの個人戦で、山下泰裕以来、実に33年ぶり2度目の1年生優勝を果たした。2年の時はベスト8止まりだったものの、3年の時に再び優勝した。また、3年の時には、東海大相模高校が団体戦で高校柔道3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した際の立役者ともなった。 東海大学進学後は、世界ジュニアではメダルが取れなかったものの、シニアの国際大会である東アジア競技大会で優勝した。さらに2010年にはワールドカップウィーンで、元世界チャンピオンのブラジルのルシアーノ・コヘアに一本勝ちして優勝を果たした。 体重別では初出場ながら決勝で穴井隆将に総合負けしたものの、100kg級世界選手権代表に選ばれた。 2010年の全日本柔道選手権にも初出場(最年少出場)し、準優勝した立山広喜に旗判定で敗れたものの5位入賞を果たした〔東海スポーツ 全日本柔道選手権大会 - 2010年4月29日付け記事より〕。 同年に行われた世界柔道100kg級代表に初選出。 2回戦で、北京五輪100kg以下級金メダリスト・ナイダン・ツブシンバヤルに敗れた〔高木「情けないのひと言です」/世界柔道 日刊スポーツ、2010年9月9日配信〕。 2011年4月には体重別の準決勝で敗れるが世界選手権代表に選ばれた。 その後の全日本選手権では準優勝した穴井隆将に優勢負け(指導2)で敗れたものの、5位に入賞した。 8月には前年に続いて世界選手権に出場するものの2回戦で敗れた〔高木が涙…不甲斐ない 時事通信 2011年8月28日〕。 その後はケガなどもあって長い間低迷するも、2014年の講道館杯では決勝で高校と大学の1年後輩となる旭化成の羽賀龍之介を技ありで破り初優勝を飾った〔 時事通信 2014年11月9日〕。2015年4月の体重別でも初優勝を飾ったが、国際大会の実績から世界選手権代表には選ばれなかった。5月のアジア柔道選手権では決勝でカザフスタンのマクシム・ラコフを技ありで破って優勝した〔 日刊スポーツ 2015年5月15日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高木海帆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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