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高木盛之輔 : ミニ英和和英辞書
高木盛之輔[たかぎ もりのすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

高木盛之輔 : ウィキペディア日本語版
高木盛之輔[たかぎ もりのすけ]
高木 盛之輔(たかぎ もりのすけ/たかき もりのすけ、1854年安政1年) - 1919年大正8年)2月19日)は、日本の武士検察官会津藩藩士として戊辰戦争を、別働第二旅団の一員として西南戦争を戦った。姉の高木時尾は照姫附き祐筆で、元新撰組副長助勤斎藤一(藤田五郎)に嫁ぐ〔『新選組・斎藤一の謎』14-15頁〕〔*>斎藤は高嶺秀夫の斡旋で東京高等師範学校に勤務したが、その仲介をしたのが高木であった(『新選組・斎藤一の謎』129-130頁)〕。福島県立会津高等学校の創立功労者の一人である。
== 生涯 ==

===戊辰戦争・西南戦争===
会津藩高士、家禄300石の高木家に生まれる。高木家は藩大目付を務める家柄であった。会津戦争の当初は伝令を務め、松平容保定敬兄弟が出陣していた滝沢本陣に危急を報告した〔平石弁蔵『会津戊辰戦争』173頁〕。その後年少者で組織された護衛隊〔*>隊員の一人に池上三郎がいた。〕に属して篭城戦を戦った。藩降伏後は猪苗代で謹慎生活を送る。この際軍事方水島純の命で同年輩の山川健次郎赤羽四郎柴四朗ら五人で謹慎所を脱出し、若松土佐藩の伴中吉〔*>伴は水島純と旧知の間柄であった。〕に主君容保、喜徳父子への寛大な措置を嘆願した。処刑もあり得ることを覚悟の上の行動であった〔花見朔巳編『男爵山川先生伝』35-37頁〕。その後東京へ赴き、西南戦争では山川浩陸軍中佐の元で転戦する。戦の最中

と詠んだ〔「会津会会報第十四号 高木盛之輔氏の逝去」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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