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高木長之助 : ミニ英和和英辞書
高木長之助[たかき ちょうのすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

高木長之助 : ウィキペディア日本語版
高木長之助[たかき ちょうのすけ]

高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 - )は 日本柔道家講道館8段)。千葉県出身。
1973年世界選手権で金メダル、75年の同選手権で銅メダルを獲得し、現在は日本大学柔道部の総監督を務める。
== 経歴 ==

===生い立ち===
千葉県房総半島の先端、安房郡白浜町(現・南房総市)にて、半農半漁の家に生まれる。に面した土地柄のため幼少時の遊びはもっぱら海の素もぐりで、アワビサザエ等の海産物を獲っては食べるというのが日課だった〔。
小学校では水泳をやっていたがレギュラーにはなれずに、白浜中入学と同時に柔道部に入部。この頃のクラブ活動は野球・水泳・柔道の3つが主流で、当時身長160cm、体重60kgの高木は、その大柄な体格から柔道部に勧誘された〔。名伯楽として名高い三田悦克が率いるこの柔道部は当時千葉県大会で連覇を繰り返す強豪柔道部で、高木が現在“指導者としての原点”と語る白浜中学での3年間の稽古は、サーキットトレーニング等も取り入れた、当時の練習方法としては非常にユニークなものだった〔。
1964年に中学卒業後は県立安房高校へ進学。2年先輩に後に世界チャンピオンとなる篠巻政利がおり、毎朝6時に起きては、朝練で篠巻を相手に500本の打ち込みをこなした〔。1日2時間程度の柔道部での練習では飽き足らず、帰宅してからも自主的に走ったり、手作りのバーベルを上げるなどして柔道家としての素地を築いていった。
高校3年次には青森インターハイへ出場。重量級の優勝候補の1人に数えれながらも、団体・個人とも結果を残す事はできなかった。一方、千葉県代表の一員として出場した同年の国体では千葉県チームの準優勝に貢献。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高木長之助」の詳細全文を読む




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