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ベルンハルド・カールグレン(Bernhard Karlgren、1889年 - 1978年)は、スウェーデンの中国学、言語学、文献学者。スウェーデンの中国学を学問的な領域まで引き上げた功労者でもある。フルネームはKlas Bernhard Johannes Karlgren(クラース・バーナド・ヨハンネス・カールグレアン)で、他に中国名として高本漢(Gāo Běnhàn)を持つ。中国語の音韻学、特に上古音や中古音の研究で有名。 ==生涯== カールグレンの学術論文は、16歳の時にダーラナ地方の方言について記したものが最初である。その後は1907年から1909年までウプサラ大学のユハン・ルンデル(Johan August Lundell)教授に師事し、ロシア語を専攻した。彼は比較音声学に関心を持っていたスラヴ語学者であり、そのためかカールグレンは、当時ほとんど行われていなかった比較歴史音声学の手法を用いた中国語研究に携わる事を決意する。しかしスウェーデンには中国語を学べる場所がなく、サンクトペテルブルクでA. I. イワノフ(Aleksei Ivanovich Ivanov)教授について二ヶ月間中国語を学ぶこととなった。その後は1910年から1912年の間、中国に滞在して中国語を学ぶとともに、24種の方言について音声学的な記録を残した。そして1912年1月、ヨーロッパに戻るとロンドン次いでパリに滞在し、1915年にはウプサラで博士論文を書いている。この論文は、著作の多くを英語で著したカールグレンには珍しく、フランス語で書かれた。 その後1939年から1959年までストックホルムの東洋博物館(Östasiatiska Museet)の館長を務めた。この博物館は1926年、カールグレンの前任で中国考古学・地質学の大家でもあるユハン・アンデショーンが1920年代になした中国先史時代考古学についての先駆的業績のために作られ、後に先史時代の中国に限らず、広い時代および地域を扱うようになっていたものである。またカールグレンは長きにわたってこのアンデショーンと親しく交流を持ち、彼が務めていた東洋博物館の年報(Bulletin MFEA、1929~)の編集も引き継ぐこととなった。カールグレンは1970年代までこの仕事を続けるとともに、自身も著作の多くをこの年報や、博物館の出したモノグラフのなかで発表している。 1946年にカールグレンは''Legends and Cults in Ancient China''を発表し、それまで放置されてきた古代中国の歴史叙述の信頼性に一石を投じた。ここで彼は、漢代以前の中国について書かれた論文を吟味し、これらの大半が資料の扱いという点で根本的かつ重大な瑕疵があると指摘する。なかでも古代中国史の復元に際し、様々な後代の文献を無秩序に使用する点が問題とされた。多くの資料を用いれば豊富で詳細な情報が手に入るが、それらは科学的手法によるものではなく、それをもとにしたある種の戯曲に過ぎないとしたのである。なお20世紀初頭の中国でも同様の議論がなされており、カールグレン自身もそれに倣うところがあった点を認めている。〔Bernhard Karlgren. "Compendium of Phonetics in Ancient and Archaic Chinese." ''Bulletin of the Museum of Far Eastern antiquities,'' no. 26 (1954): 211-367.〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベルンハルド・カールグレン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bernhard Karlgren 」があります。 スポンサード リンク
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