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高村 坂彦(こうむら さかひこ、1902年(明治35年)12月18日 - 1989年(平成元年)10月7日)は、日本の内務官僚、政治家。元衆議院議員(自民党)、山口県徳山市長。 次男は数学者でお茶の水女子大学名誉教授の高村幸男(こうむら ゆきお、1931年8月13日 - 2009年3月21日)、四男は衆議院議員・元外務大臣の高村正彦。 == 経歴 == === 出生から学生時代まで === 山口県熊毛郡三井村(現光市三井)の農家に生まれる〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』346頁〕。農業・高村宇佐吉、キチの四男〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』52頁〕。父・宇佐吉は大工の棟梁でもあり、村会議員もしていた〔。 1917年(大正6年)、三井尋常高等小学校高等科卒業〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』55頁〕。「おまえは商人になれ」という父親の言いつけに従って厚狭郡船木町にある酒、醤油の醸造と呉服店を営む蔵重商店の別家に見習い奉公人として住み込む〔。1920年(大正9年)、見習い奉公から独立、厚狭町で叔父との共同事業の形で醤油醸造業を経営、「山高醤油」の名で売り出す〔。順調に伸びていた「山高醤油」の経営を一年半ほどで叔父に譲り、父や兄たちの反対を押し切ってやめた〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』56頁〕。 上京して東京商工学校(現・埼玉工業大学)の二年に編入〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』57頁〕。商工学校三年になったところで退学すると、正則英語学校と正則予備校に入学、午前中は英語を、午後は物理、化学、数学、国語を、そして高文受験資格の取得をめざし、夜間の中央大学専門部法科の別科にも入学する〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』58頁〕。1925年(大正14年)9月には専門学校入学者検定試験にパス、中大の別科生から本科生となった〔。1926年(大正15年)7月高文予備試験合格〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』59頁〕。1926年(昭和元年)9月高文本試験合格〔。 1927年(昭和2年)中央大学専門部法科卒業〔安藤輝国『激動の世に生きた政治家 高村坂彦伝』348頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高村坂彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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