|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 高 : [たか] 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ダイス : [だいす] 【名詞】 1. dice 2. die, (n) dice/die
スーパー電リクサンデーヒットパラダイス(スーパーでんリクサンデーヒットパラダイス)は、ニッポン放送で、1987年10月11日から1990年10月7日まで、毎週日曜日の午前7:00から12:00まで5時間放送されていたワイドラジオ番組である。通称「サンパラ」。1989年10月15日以降の本番組のタイトルは「高杢禎彦のサンデーヒットパラダイス」(たかもくよしひこ - )。 == 概要 == 本番組スタート前、1987年10月4日までの毎週日曜日7:00〜12:00の枠は、当時この枠内に有った8番組を「朝から音楽めいっぱい!! サンデーモーニングワイド」のタイトルでくくっていたが〔ラジオ新番組速報版(三才ブックス) 1987年春号 ニッポン放送のページより。〕、同年10月の改編でこの枠を1枠の生ワイド番組に改め、本番組がスタートした〔この改編で、『中村雅俊 まかせてホリデー』は日曜日17:00、『渡辺美里 ごきげんデイト』は日曜日23:30の枠にそれぞれ移動、『ハートはジュークボックス』の藤井郁弥の番組は『藤井郁弥 キュートしようよ』(土曜日22:00)として、渡辺美奈代の番組は6か月のブランクの後1988年4月から『渡辺美奈代 恋はちょっぴり!』(日曜日22:00)としてそれぞれ再スタート。〕(『不二家歌謡ベストテン』の不二家、『リクエスト合戦』の福助、『渡辺美奈代 背のびしてルージュ』の角川書店グループはそれぞれ引き続き本番組のスポンサーに入った〔ラジオ新番組速報版 1987年秋号 ニッポン放送のページ(p.81 - 82)より。〕)。 初代メインパーソナリティはジャドーズ。6か月後の1988年4月10日からメインパーソナリティが高杢禎彦に交替。電話、はがき、FAXと街頭アンケートによるリクエストをまとめ、その週のベスト20を決定していた〔月刊ラジオパラダイス 1987年11月号 p.46 より。〕。1989年10月8日までは主にリクエスト、ランキング、情報、ゲストコーナーによって占められていたが、同年10月15日からバラエティコーナーを多く開始し、同時に高杢の冠番組にタイトルを改めた。 1988年8月7日(広島から)、同年12月11日(仙台から)、同年12月18日(広島から)、1989年7月30日(仙台から)、同年8月6日(秋田から)、同年8月13日(大阪から)、同年8月27日(広島から)、同年9月5日(福岡から)の各回はそれぞれの各地方局から生放送を行っている。1990年10月7日の最終回は公開生放送を行った〔1990年10月7日 各新聞ラジオ欄より。〕。 1989年10月8日までは、10位〜1位のランキング発表のパートは、そのまま東海ラジオ放送、ABCラジオでも『不二家歌謡ベストテン』として放送。同年10月15日以降は『不二家スーパーチャートNo.1』と改題され、本番組のベスト10ランキングパートが東海ラジオ、ABCで放送されていた(1990年4月以降は不二家が降板したことにより『スーパーチャートNo.1』として放送)。 1990年3月で放送終了する三宅裕司のヤングパラダイスをこの番組が終了と誤解するリスナーが多数居た。同年4月の三宅裕司のヤングパラダイス最終回スペシャルに高杢がゲスト出演した際、そのエピソードについて語っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スーパー電リクサンデーヒットパラダイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|