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高柳 保太郎(たかやなぎ やすたろう〔『日本陸海軍総合事典』第2版、96頁。〕、1870年1月10日(旧暦明治2年12月9日〔) - 1951年(昭和26年)9月7日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士3期、陸大13期。 栄典は正四位勲二等功二級、バス勲章コンパニオン(CB)。最終階級は中将。 近代日本における対ロシア・ソ連諜報活動に従事した情報活動の先駆者であり、「弘報」「特務機関」の命名者でもある。 == 来歴・人物 == 石川県の士族出身。三浦賢高の二男として生まれ、高柳文吉の養嗣子となる〔。成城学校を経て陸士に入学。陸大卒業後、日露戦争に第二軍司令部附参謀(作戦担当)として参加。参謀本部作戦課長、陸軍大学校兵学教官、海軍軍令部参謀を経て〔『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(大正3年7月1日調) 47コマ 〕、第一次世界大戦では、青島攻略軍兵站部長として出征。その後、ロシア軍の観戦武官となる。 シベリア出兵には浦塩派遣軍高級参謀として部隊を指揮する傍ら、弘報班およびオムスクの特務機関を設立。 その後、浦塩派遣軍参謀長に就任し、1920年7月17日に行われた停戦協定()では日本側代表として出席。ゴンゴタ駅にて極東共和国代表ウェ・エス・シャートフと停戦条項を交わした〔東京日日新聞 1920 (大正9).7.22 〕。陸軍切ってのロシア畑を歩んだ人物だったが、情報を提供した芸者に謝礼として恩賜のたばこを贈ったことが新聞沙汰になり、待命に追い込まれた。 1922年、南満州鉄道総裁室嘱託(理事待遇)となる。高柳を招き入れたのは、当時の理事・松岡洋右とされる〔満鉄の弘報活動―プロパガンダとパブリック・リレーションズのコトバ史― 〕。翌年、高柳は満鉄社長室にプロパガンダや宣撫活動を担当する「弘報係」の設置を提案し、自ら弘報係の初代係長となる。 満洲国建国後は満洲弘報協会会長、満州日報社長〔電子図書館システム 新聞記事文庫 移民および植民(21-046) 満州日報 1935.3.28-1935.4.5(昭和10) 〕となり、大陸における情報戦略の基礎を築いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高柳保太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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