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高楠 順次郎(たかくす じゅんじろう、1866年6月29日(慶応2年5月17日) - 1945年(昭和20年)6月28日)は、戦前の仏教学者、インド学者。1912年、帝国学士院会員。学位は文学博士、ドクトル・フィロソフィエ(ライプツィヒ大学)など。称号は東京帝国大学名誉教授。1944年に文化勲章を受章。 == 経歴 == 広島県御調郡八幡村字篝(現三原市)の農家沢井家に7人兄弟の長男として生まれた。幼いころから祖父に漢籍を習ったが、旧家とはいえ進学するだけの余裕はなく、14歳で小学校教員として働き始めた。その後、近隣出身で当時西本願寺を代表する学僧であった日野義淵(足利義山の子)や是山恵覚等の助力もあって、21歳の時、西本願寺が京都に創設したばかりの普通教校(現龍谷大学)に入学した。在学中は同志を集めて禁酒運動を始め『反省会雑誌』(後の『中央公論』)を刊行した。 その後、請われて神戸の裕福な高楠家の婿養子となり、その援助で英国に留学、オックスフォード大学でM.ミュラーに師事した。その後、ドイツやフランスにも留学。帰国すると東京帝国大学(現・東京大学)で教鞭をとり、1897年に梵語学講座を創設、自ら研究に励んだだけでなく、宇井伯寿、木村泰賢、織田得能、辻直四郎など多くの逸材を育てた。 『大正新脩大蔵経』や『南伝大蔵経』等の大規模出版物を次々と企画し刊行した。さらに高楠は数々の高等教育機関の設立や運営にも携わり、その多くは今日大学に発展している。知力体力に恵まれ、たゆまぬ努力で巨大な業績を残したが、病気で家族を次々に失い家庭的には恵まれたとはいえなかった。しかし自身は、祖父譲りの篤信の真宗信徒で、朝な夕な仏壇に向かい念仏を唱えていたという。1900年に現在の中央学院大学の前身である日本橋簡易商業夜学校を設立、初代校長に貴族院議員・男爵南岩倉具威を迎える。 高楠はエスペランティストでもあり、1906年に黒板勝美らと共に日本エスペラント協会の結成に参加し、同会の東京支部長を務めた。また、新たに1919年に日本エスペラント学会が設立された際は、当初は評議員として参加し、1926年の財団法人化後は理事も務めた。子息の高楠正雄は出版社「大雄閣」を創業し、父の著書をはじめとした仏教関連書などを刊行している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高楠順次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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