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高橋 たか子(たかはし たかこ、1932年(昭和7年)3月2日 - 2013年(平成25年)7月12日)は、日本の小説家。旧姓岡本、本名和子(たかこ)。夫は作家の高橋和巳。 == 来歴・人物 == 京都府京都市下京区醒ヶ井通仏光寺下ル荒神町で、父・岡本正次郎、母・達子の長女として生まれる〔『高橋たか子自選小説集』講談社、1994〕。父親は旧制名古屋高等工業学校建築科を卒業し、京都府警察部建築課に勤めていた〔〔Other Women's Lib: Gender and Body in Japanese Women's Fiction Julia C. Bullock, University of Hawaii Press, 2010〕。尋常小学校時代に等持院北町に転居し〔『竹西寬子・高橋たか子・富岡多恵子・津島佑子集』筑摩書房, 1978〕、京都府立嵯峨野高等女学校から府立山城高校を経て〔『現代女性文学辞典』東京堂出版, 1990〕、1954年(昭和29年)、京都大学フランス文学科卒。在学中に高橋和巳と知り合い、卒業の半年後に結婚。大学院に進み、1958年に修士取得〔。その一方で、作家志望の和巳が働かなかったため、たか子が家庭教師や翻訳、外国人観光客のガイドなどをして家計を支え、加えて夫の原稿の清書なども精力的に手伝った〔自著『高橋和巳の思い出』〕。夫とともに、布施市吉松蔦崎町(現・東大阪市)、等持院北町のたか子の実家、吹田市大字垂水と転居し、1965年に鎌倉市二階堂理智光寺に住む〔高橋和巳研究会〕。1967年、和巳は京都大学助教授に就任して京都へ転居するが、たか子は故郷である京都の土地柄に女性蔑視的風潮があるとして同行せず、夫婦は別居生活をおくることになる。1967年渡仏。 1969年に和巳が病に倒れ、献身的に介護するも〔、1971年(昭和46年)、夫・和巳と死別。その後、自ら小説を書き始める。1975年に遠藤周作のすすめでカトリックの洗礼を受けた。『高橋和巳の思い出』で、和巳は家では「自閉症の狂人」だったと書いた(この「自閉症」の用法は、今日では誤りである)。京都市の女子カルメル会に入会し、修道生活を送った時期もある。1980年にパリのサン=ジェルヴェ・サン=プロテ教会を母体とするエルサレム修道会の創立者のPère Pierre-Marie Delfieuから修道生活の誘いを受け、1981年からパリに安アパートを借りて住み隠修者となる〔井上三朗、山口大学文学会志 60, 47-69, 2010 〕。1985年に正式にエルサレム会に入会〔。この間、フランス各地の修道院を訪ね、1988年にはエルサレムを訪れている〔。 『空の果てまで』で田村俊子賞、『ロンリー・ウーマン』で女流文学賞、『怒りの子』で読売文学賞、『きれいな人』で毎日芸術賞受賞。他に代表作は、三原山での女子大学生の投身自殺を描いた『誘惑者』。 2013年(平成25年)7月12日、茅ヶ崎市の老人ホームで心不全のため死去〔作家の高橋たか子さん死去 故高橋和巳の妻 ,朝日新聞,2013年7月18日〕。喪主を務めた鈴木喜久男(翻訳家の鈴木晶)は、たか子の40年来の弟子で、たか子の生前から高橋家の鎌倉の自邸に妻子と暮らし、和巳・たか子両名の著作権代理人を務めていた〔〔『群像』2013年9月号〕。高橋夫妻の著作権はたか子の没後日本近代文学館に遺贈された〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋たか子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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