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高橋 健自(たかはし けんじ、明治4年8月17日(1871年10月1日) - 昭和4年(1929年)10月19日)は日本の考古学者。主として弥生時代と古墳時代を研究領域とした。日本考古学の発展に大きな足跡をのこした研究者である。主著に『銅鉾銅剣の研究』『日本原始絵画』『鏡と剣と玉』がある。東京高等師範学校卒。 == 経歴 == 明治4年(1871年)8月17日、仙台県仙台城下町(現宮城県仙台市)の仙台藩士の家に生まれる。東京高等師範では三宅米吉に師事した。1904年(明治37年)東京帝室博物館(現東京国立博物館)にはいり、博物館員から鑑査官、歴史課長を歴任した。そのいっぽうで日本考古学会を主宰しての幹事をつとめ、『考古学雑誌』を刊行、考古学の発展と普及につくした。喜田貞吉とは古墳の年代決定をめぐって論争となっている。1922年(大正11年)、『考古学雑誌』に「考古学上より観たる邪馬台国」を発表し、邪馬台国の所在地を畿内とする説に立った。1929年(昭和4年)10月19日、脳膜炎のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)16頁〕、享年59。墓所は仙台市宮城野区榴岡の孝勝寺にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋健自」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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