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高橋 博士(たかはし ひろし、1946年3月10日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手で、主な守備位置は捕手・内野手だった。1966年から1973年までの登録名は「高橋 博」。1974年9月29日の南海戦(後楽園)で1試合で全守備位置を守ったことがある。 == 来歴・人物 == 宮崎商業高校では捕手、三番打者として1963年夏の甲子園県予選決勝に進出。清俊彦投手を擁する高鍋高を破り夏の甲子園への出場を決める。しかし大会では2回戦に進出するものの、甲府商の大石勝彦(大洋-東映)、堀内恒夫両投手の継投に敗れた。高校同期に小川亨中堅手、1年下に山本真一三塁手、2年下には控え投手の水谷実雄がいた。 年に高橋博士の名前で南海ホークスに捕手として入団。2月11日に村上雅則、田中達彦と共にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aフレズノに野球留学する。 年から年までは内野手登録。1971年は遊撃手のレギュラーとして活躍。ファン投票でオールスターに出場。翌年に江本孟紀・佐野嘉幸との1対2のトレードで東映フライヤーズに移籍。1974年9月29日に1試合で全ポジションを守る〔 〕。消化試合のダブルヘッダーを盛り上げるために、三原脩球団社長の発案で、ファンサービスとして行われたものである。ポジショニングは、一塁手→捕手→三塁手→遊撃手→二塁手→左翼手→中堅手→右翼手→投手の順番で、投手経験は高校時代にかじった程度で初めて同然だったので、投手の野崎恒男をセンターフライに仕留めただけで降板した〔。なお、選手生活を通しての全ポジション出場であれば、2000年に五十嵐章人(当時オリックス)が達成している。 年に日本ハムファイターズを自由契約となり、ロッテオリオンズに移籍。年まで捕手では数少ない背番号「1」をつけていたが、1981年に入団した愛甲猛が1番を希望したため、自ら譲渡して15番に変更した。なお、これが縁で引退後も愛甲と交流があった。年に現役を引退。現在は相模原市で焼肉店とスナックを経営している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋博士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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