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高橋 孟(たかはし もう、本名:高橋祀三、1919年 - 1997年3月30日)は日本の漫画家・イラストレーター。海軍主計科兵として戦艦に乗務した体験を記した『海軍めしたき物語』で知られる。 == 経歴 == 徳島県出身。東京で製図工として勤務していたときに徴兵を受け、海軍の主計科に配属される。高橋は以前に東京駅で見かけた主計科兵の颯爽とした制服姿を思い出し、第二希望に主計科(第一希望は機関科だった)を記したところこのような結果となったという。佐世保海兵団から戦艦霧島に乗務。海兵団で自分が烹炊(料理)兵であることを知らされ、ショックを受ける。また、当時の海軍では主力艦に近くなるほど規律が厳正であると言われており、戦艦に決まったことでさらにがっかりしたという。当時「死んでしまおうか、霧島いこか」「首を吊ろうか、霧島いこか」といった戯れ歌があったことを後に著書で記している。 高橋が乗務している間に霧島は真珠湾攻撃から太平洋戦争緒戦を転戦するが、その間高橋はずっと烹炊所におり、戦況などを直接知ることはほとんどできなかった。ただ、ミッドウェー海戦の折、上甲板に上がった際に攻撃を受けて燃えさかる航空母艦を目の当たりにした。日本の敗北で終わったこの海戦については関係者に箝口令が敷かれたことが知られるが、高橋の周囲に関してはそうした命令は下りてこなかったという。 ミッドウェー海戦後にいったん佐世保海兵団に転勤。その後呉の海軍潜水学校に転属。海軍経理学校の経理術練習生課程に入校した(試験は戦艦霧島で受験)。課程修了後に佐世保海兵団預りとなり、命令を受けて砲艦武昌丸に乗務。南シナ海で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて武昌丸は沈没し、海を漂流中にサメに右大腿部を噛まれる被害に見舞われるが救出され、サイゴン(現・ホーチミン)の海軍病院に入院した。回復後、日本に帰国して鹿児島県の串良航空隊勤務となり、終戦を挟んで鹿屋基地へ転勤。いったん帰郷(正式な解散命令はなく、周囲の仲間と独自の判断で帰郷した)した後に志布志にあった主計科の経理事務所に呼び出され、残務処理を担当、さらに復員船の物資管理と戦後も軍務に従事することになった。 復員後は神戸市に在住して漫画家・イラストレーターとして活動し、神戸新聞に時評漫画を長く連載した。田辺聖子の作品イラストを担当した縁で、田辺が編集長を務めていた雑誌『面白半分』に自らの軍務の模様をイラスト入りでつづった「海軍めしたき物語」を1977年から1979年まで連載し、連載終了後に新潮社より単行本として刊行された。高橋のユーモラスなイラストや筆致に加え、あまり一般に知られることのなかった「軍艦の食事・料理事情」を描いた点で話題となり、1981年に続編の『海軍めしたき総決算』が刊行されている。また、海軍のメニューを復刻・解説した『海の男の艦隊料理 「海軍主計兵調理術教科書」復刻』(新潮文庫)の監修とイラストも手がけている。1997年、死去。 なお、1983年1月2日にテレビ東京の新春12時間超ワイドドラマとして放映された「海にかける虹~山本五十六と日本海軍」には「海軍めしたき物語」が原作として使用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋孟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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