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高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )は、日本の政治学者。法政大学社会学部名誉教授、法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員。研究テーマは日本現代史・政治史、社会労働運動史、日本の社会民主主義。 学派としては学部指導教授だった増島宏、大学院の指導教授だった中村哲に連なる。 長年にわたり日本共産党の「党員知識人」であったが、著書『左翼知識人の理論責任』の出版後、一方的に除籍される。以降は同時期に除籍となった加藤哲郎、後房雄とともに日本共産党批判の急先鋒に立つ。 また研究・指導活動のみならず、1984年の法政大学キャンパス移転の際には、社会学部学部長として学内の調整、移転反対勢力との交渉に尽力し、『法政大学百二十年史』の編集委員も務めた。 芸能レポーターの梨元勝は増島ゼミの後輩にあたる。 == 経歴 == 東京・深川に生まれる。1945年3月10日未明の東京大空襲で罹災した経験を持つ。 1950年、早稲田大学第二政経学部入学。在学中に第二政経学部自治会委員長に就任。また、当時入院していた大山郁夫を見舞う機会を得る。 1956年に法政大学第二社会学部入学。同年11月、東京大学学生新聞(のち東京大学新聞)の懸賞論文に投稿した「新しい学生運動の出発-社会主義運動と学生運動-」が佳作に選ばれ掲載される。1960年に法政大学第二社会学部卒業後、1965年に法政大学大学院社会科学研究科(政治学専攻)博士課程単位取得中退。 1968年の大阪経済大学専任講師を経て、1972年に法政大学社会学部助教授に就任、その後教授となる。1975年9月から翌1976年8月までイギリス・シェフィールド大学に留学。1984年4月に法政大学社会学部学部長に就任し、1986年3月まで務めた。1985年10月にはドイツ民主共和国・ベルリン大学175周年記念式典に法政大学代表として出席。 1987年7月、日本政治学会理事に選出されるが就任を辞退。1988年法政大学図書館長(1992年まで)、私立大学図書館協会常任理事を歴任。 2001年、法政大学を定年退職し名誉教授となる。法政大学以外でも横浜国立大学、北海道教育大学、一橋大学社会学部、早稲田大学法学部、早稲田大学現代政治経済研究所、中央大学社会科学研究所などで非常勤講師・研究員を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋彦博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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