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高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2004年11月3日)は、日本の医師。 秋田県仙北郡西木村(現仙北市)生まれ。1936年(昭和11年)旧制秋田県立角舘中學校を卒業し1941年(昭和16年)東京帝國大學医学部を卒業する。その後物療内科に入局し増山元三郎に推計学を紹介される。 == 略歴 == *1943年(昭和18年) 徴用され、増山の「少数例の纏め方と実験計画の立て方」を読む。敗戦後、秋田赤十字病院内科。 *1948年(昭和23年) 東大物療内科に戻って、ロナルド・フィッシャーの判別関数を用いた診断法を研究する。 *1954年 (昭和29年)東京大学 医学博士 論文の題は「一次元拡散を利用する定量法について : 重層法の基礎公式の再検討」。〔博士論文書誌データベース〕 *1959年(昭和34年) 講師となった。 *1960年(昭和35年) 日本消化器病学会に「判別関数による肝臓病の鑑別診断」を発表し、グロンサン研究会で「使った、治った、効いた」の「3た論法」による薬効判断が行われていることに驚愕し、対照実験を主張した。 *1961年(昭和36年) 日本消化器病学会で、肝臓薬が外国に無く、日本に有るのは外国では二重盲検で対照実験を行うからであると述べ、薬効検定の重要性を主張した。これにより東大生協がグロンサンの薬効の検討に踏み出した。高橋はアリナミンの調査研究に取りかかった。 *1966年(昭和41年) 東大五月祭で「保健薬を診断する」コーナーで、アリナミン無効説が主張された。 *1970年(昭和45年) 高橋は有害を主張し、同年大衆保健薬の許可基準に関する質問を提出し(返答無し)、公開質問状に切り替えて提出し、衆議院決算委で参考人として薬効の無い薬を指摘し、二重盲検による大衆保健薬再評価を求めた。この結果、薬効問題懇談会の設置が決定したが、メンバーに不信感をいだいて、「薬を監視する国民運動の会」を組織し、「薬のひろば」(編集人、平沢正夫)を発行した。 *1971年(昭和46年) 厚生省にアリナミン販売禁止を求める意見を提出した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋晄正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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