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高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。 散文詩的な文体で言語を異化し、教養的なハイカルチャーからマンガ・テレビといった大衆文化までを幅広く引用した、パロディやパスティーシュを駆使する前衛的な作風。日本のポストモダン文学を代表する作家の一人である。 == 経歴 == === 生い立ち、大学紛争 === 広島県尾道市の母の実家に生まれる。1歳まで大阪の帝塚山の父の実家にておもに祖母の手で育てられた〔高橋源一郎 『さようなら、ギャングたち』 講談社文芸文庫、1997年、363頁(自筆年譜)。〕。尾道市立土堂小学校在学時に自転車屋が廃業。また父の経営していた鉄工所が倒産。1959年、東京の大泉学園に移り住む。練馬区立大泉東小学校に入学するも、尾道に戻り土堂小学校に転校しなおす〔『現代詩手帖特集版 高橋源一郎』思潮社、2003年10月25日、高橋源一郎年譜。〕。1960年、東京の千歳船橋に移り住む。世田谷区立船橋小学校に転校。1963年4月、麻布中学校に入学。1964年1月、灘中学校に転入。このころ鮎川信夫、谷川雁、鈴木志郎康等の現代詩を読み、感銘を受ける。同級生の竹信悦夫から多大な影響を受けた。1966年4月、灘高校に入学。高校時代より無党派のデモに参加。 1969年、東京大学を受験する予定だったが、東大入試の中止により京都大学を受験して失敗、二期校である横浜国立大学経済学部に入学した。しかし大学紛争中のストライキでほとんど授業が行われず、活動家として街頭デモなどに参加する日々を送る〔高橋源一郎 『さようなら、ギャングたち』 講談社文芸文庫、1997年、365頁(自筆年譜)〕。同年11月、学生運動に加わって凶器準備集合罪で逮捕される。1970年2月、起訴され8月まで東京拘置所で過ごす〔〔論壇時評2014年7月31日付、『ぼくらの民主主義なんだぜ』207ページ「現実はもっと複雑で豊かだ」〕。その体験が原因で一種の失語症となり、書くことや読むことが思うようにいかなくなる〔高橋『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』 宝島社、1985年、32-36頁〕。 1972年夏、土木作業のアルバイトを始め、鉄工所や化学工場、土建会社などの肉体労働に10年ほど従事する日々を送る。この頃に競馬に興味を持つようになる。1977年3月、大学を中退〔高橋『ぼくらの民主主義なんだぜ』奥付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋源一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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