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高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。 紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。 == 生涯 == === 高橋家相続 === 天文17年(1548年)、大友義鑑の重臣・吉弘鑑理の次男として豊前国筧城〔【統幸公ゆかりの地・其の二】筧城(吉弘氏館)跡 伝承地 | 豊後高田市 http://www.city.bungotakada.oita.jp/page/page_02546.html〕に生まれる。義鑑の子・大友義鎮(のちの宗麟)と父・鑑理から1字ずつ賜り鎮理と名乗る。永禄4年(1561年)、初陣は13歳で対毛利氏の第四次門司城の戦いと考えられている。永禄10年(1567年)、大友氏の家臣であった高橋鑑種が豊前国・筑前国・肥前国ら国人と連携して謀反を起こした際、父・鑑理や兄・吉弘鎮信と共に出陣して武功を挙げた。 永祿十二年(1569年)に大友義鎮(宗麟)の命により高橋氏の岩屋城と宝満城の2城を継ぎ、名を鎮種と改めた。以降は北九州の軍権を任されていた立花道雪と共に筑前国を支配することとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋紹運」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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