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高橋 薫(たかはし かおる、1976年6月24日 -)は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 南稜高校時代は2年秋から主将を務め、エースで打線の中軸も任されていた〔朝日新聞、1994年7月31日付朝刊、埼玉地方面〕。埼玉のドクターKと呼ばれ、2年の冬には県選抜チームに入って土肥義弘らとともに台湾遠征に参加している〔朝日新聞、1994年1月13日付朝刊、埼玉地方面〕。3年夏の選手権大会では埼玉県大会で自校初の準決勝進出を果たしたものの、木塚敦志や久保田智を擁する浦和学院に敗れた。 日本通運時代は、サウスポーから繰り出される140km/h代後半の速球と大きなカーブを武器に活躍。左ひじに不安があったがシドニー五輪の予選を兼ねたの第20回アジア野球選手権大会日本代表に選出される〔朝日新聞、1999年9月18日付朝刊、P.22〕。決勝リーグ最終戦の対韓国戦では2番手として登板し、1回を投げて3失点で敗戦投手となった。 同年のドラフト会議では同僚の木村一喜や広田庄司とともに逆指名の権利を行使し、1位指名で千葉ロッテマリーンズに入団。契約金は1億円+出来高払い5,000万円、年俸1,300万円で小宮山悟の背番号だった14を受け継ぐなど、高い期待をされていた〔読売新聞、1999年12月9日、P.25〕。 しかし、入団後は度重なる故障で一軍登板がないまま4年で退団。引退後はロッテの一軍サブマネージャーやマリーンズベースボールアカデミーのコーチを経て、スカウトに就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋薫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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