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高橋赳太郎 : ミニ英和和英辞書
高橋赳太郎[たかはし きゅうたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 

高橋赳太郎 : ウィキペディア日本語版
高橋赳太郎[たかはし きゅうたろう]

高橋 赳太郎(たかはし きゅうたろう、1859年安政6年)7月 - 1940年昭和15年)12月21日)は、日本剣道家流派無外流剣術津田一伝流剣術称号大日本武徳会剣道範士職業警察官高運
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
高橋家は代々酒井家に仕えた武士である。赳太郎は1859年安政6年)、姫路藩剣術指南役高橋哲夫武成の長男として、姫路大手前藩邸で生まれた。哲夫は無外流剣術(高橋派)、自鏡流居合津田一伝流剣術の師範として、藩校好古堂」で武術を指南し、自邸にも膺懲舎(ようちょうしゃ)という道場を開いていた。
1864年文久4年)、数え年6歳の赳太郎は父から剣術修行を命じられ、膺懲舎で稽古を開始する。倒れれば冬でも井戸へ連れて行かれ、水を浴びせられる厳しさであった。8歳からはこの稽古のほかに、藩校で学問武芸大太刀流剣術新陰流剣術堤宝山流柔術大坪流馬術)を学んだ。
明治維新によって、哲夫は藩の師範を解任される。道場は続けたが、近代化政策の影響で門人は去っていき、父子だけでの稽古となった。1876年(明治9年)、18歳の赳太郎は、父から無外流剣術と津田一伝流剣術の免許を与えられた。この年に父が亡くなり、祖父の高橋八助成行に師事する。
1878年(明治11年)3月、20歳で無外流奥伝を伝授されると、武者修行の旅を決意するが、当時の政府は剣術を禁じており、京都では国事犯嫌疑者とされるほどであった。一計を案じた赳太郎は、曲戯(見世物)の名目で剣術修行をすることを思いつき、当時の兵庫県権令森岡昌純に「曲戯業願」を出す。認可を得て、同年4月に出発し、近畿中国地方の各県を数ヶ月間かけて回った。大阪鏡新明智流道場「学習館」を開いていた秋山多吉郎の元にも数日滞在した記録が残っている。京都だけは断念したという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高橋赳太郎」の詳細全文を読む




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