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高橋 道八(たかはし どうはち)は京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡。江戸時代後期より作陶に携わり、特に茶道具、煎茶器の名品を輩出し続けてきた。 ==歴代== *初代 道八(元文5年(1740年)- 文化元年4月26日(1804年6月4日)) *:伊勢亀山藩出身。字「周平」名「光重」。号は「松風亭空中」とも称する。次男のため士分を離れ、京に出て陶器職人となる。後独立し粟田口に開窯。活躍期は煎茶隆盛期でもあり、数多くの煎茶器の名品を制作した。自らも池大雅、上田秋成、売茶翁らの文人と交際。南画を趣味とする。 *初代 尾形周平(1788年?1800年?-1829年?1830年?) *:初代三男、仁阿弥道八の弟。幼名「熊蔵」名「光吉」。奥田頴川や兄・仁阿弥道八の元で修行の後独立した。尾形乾山にあやかり「尾形」姓を名乗る。青華、色絵、青磁を得意とし、煎茶器(特に急須、湯沸、茶碗)に名品が多い。 *二代 道八(天明3年(1783年) - 安政2年5月26日(1855年7月9日)) *:初代の次男。「仁阿弥道八」の名で著名である。 *三代 道八(文化8年(1811年) - 明治12年(1879年)8月2日) *:二代の長男。幼名「道三」、名「光英(みちふさ)」。号「華中亭」「道翁」。嘉永3年(1850年)、高松藩に招かれ「讃岐窯」を開窯した。明治2年(1869年)、佐賀藩の招聘により伊万里焼技術指導。仁和寺宮より法橋に任じられる。青花、白磁の製作にも成功。晩年は祖父の桃山窯に引退。技法としては青磁、雲鶴模様、三島手、刷毛目を得意とし、煎茶器の名品を多数製作した。 *四代 道八(弘化2年(1845年)5月 - 明治30年(1897年)7月26日) *:三代の息子。名「光頼」号「華中亭」。明治7年(1874年)襲名。京都府勧業場の御用係として活躍。青花磁・彫刻・白磁を得意とする。 *五代 道八(明治2年(1869年)- 大正4年(1914年)) *:本名「小川勇之助」。滋賀県甲賀郡出身。四代死去時に子息幼少のため、一時的に名跡を嗣ぐ。 *六代 道八(明治14年(1881年)- 昭和16年(1941年)) *:四代次男。本名「英光」、号「華中亭」。先代、及び四代の陶法をつぎ、染付煎茶器に名品がある。 *七代 道八(明治43年(1910年)11月21日 - 昭和58年(1983年)) *:本名「光一」。 *八代 道八(昭和13年(1938年)12月6日 - 平成23年(2011年)9月16日) *:七代長男。京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科卒業、京都府訓練校にて轆轤成形、京都市工業試験場にて釉薬を学ぶ。父・七代道八に師事。昭和58年(1983年)に襲名。京都市出身。2011年9月16日肝臓ガンのため、京都市内の病院にて逝去。73歳。 *九代 道八(昭和48年(1973年)12月 - ) *:八代次女。京都文教短期大学服飾意匠学科デザイン専攻卒。京都府立陶工高等技術専門校成形科、研究科卒。京都工業試験場 本科卒。 *:平成元年 (1989年)、父・八代道八に師事。平成24年 (2012年)、九代 高橋道八を襲名。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋道八」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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