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高橋高盛(たかはし たかもり)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。後北条氏の家臣。父は高橋氏高、母は大石定仲の娘。 == 生涯 == 永禄4年(1561年)、伊豆国雲見上ノ山城にて誕生する。某年に元服し、左衛門尉高盛と名乗り、北条氏政に出仕した。 天正5年(1577年)、父・高橋氏高が隠居し、伊豆国雲見上の山城に居住したことにより、家督を相続する。同年、武田勝頼の家臣・春日虎綱が鷲津保塁を攻めた時、四面楚歌になった高盛は士卒を指揮して、自ら軍太刀を奮ってこれを死守した。討ち取った首級12。 天正18年(1590年)の小田原征伐では、父・氏高が下田城に籠城したために、高盛が北条氏直の命により、小田原城の巡夜厳警将となる。同年6月26日夜半、井伊直政、松平康頼の軍が小田原城の壕を渡り、城内に侵入してきた時、山角上野介、同嫡子・四郎左衛門尉、同次男・左近大夫が防戦したが、笹郭に侵入してきた。高盛は、従兄弟・高橋康種、弟・高忠、高信と共に、山角勢を援護し防戦し、反撃した。この戦いで、弟・高忠、高信が討死し、高橋家の譜代家臣のほとんどが戦死した。 小田原城落城後、高盛は、氏直の命に従い、家臣の福田勘解由、秋山小二郎、伊藤右衛門、小屋山徳左衛門などの一族と共に、武州烏山の砦に住した。 寛永10年(1633年)1月29日没。享年72歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋高盛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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