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高津の富亭 : ミニ英和和英辞書
高津の富亭[こうづ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 

高津の富亭 ( リダイレクト:高津宮 ) : ウィキペディア日本語版
高津宮[こうづぐう]

高津宮(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社である。旧社格は府社で、戦後神社本庁別表神社となった。
== 概要 ==
難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。
貞観8年(866年)、勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。天正11年(1583年)、豊臣秀吉大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社とした。明治5年に府社に列格した。
昭和20年(1945年)3月の大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失し、昭和36年(1961年)10月に再建された。
古典落語高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていた。境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席には五代目桂文枝一門がかかわっており、文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」で開かれた「くろもん寄席」である。文枝が亡くなった翌年の平成18年(2006年)3月、境内に桂文枝の石碑が建立された。
明治32年(1899年)、大阪府仁徳天皇1500年大祭を高津宮と難波神社で行った際に記念建立した「高津宮址」が大阪府立高津高等学校(大阪市天王寺区)の構内に現存する。

Image:Kozu no tomi tei.jpeg|高津の富亭
Image:Monument of Katsura Bunshi.jpeg|五代目桂文枝之碑
Image:Kozugu Himekoso-jinja.jpg|比売古曽神社(摂社)
Image:Kozu-Gu 02211.jpg|高倉稲荷神社(末社)
Image:Kozu-Gu Yasui Inari.jpg|安井稲荷神社(末社)
Image:Kozugu Torii.jpg|表参道入口の鳥居
Image:Kozugu Komainu.jpg|狛犬


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高津宮」の詳細全文を読む




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