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高 浚(こう しゅん、? - 558年)は、北斉の皇族。永安簡平王。高歓の三男。母は王氏。字は定楽。 == 経歴 == 539年、永安郡公に封じられた。後に中書監・侍中に累進した。青州刺史として出向した。550年、北斉が建てられると、永安郡王に進んだ。 557年、入朝すると、文宣帝の行幸に従って東山におもむいた。文宣帝は裸で音楽を演奏させ、婦女と交わり、狐掉尾を作ってたわむれた。高浚は「これ人主の宜しくする所にあらず」と進言したので、文宣帝は不機嫌になった。高浚はまた楊愔を召して、皇帝を諫めないことをそしった。楊愔がこのことを文宣帝に報告すると、文宣帝は「小人は来りしより忍び難し」と激怒して、酒をやめて宮殿に帰った。高浚が州に帰ると、また上書して帝を諫めた。文宣帝は高浚を召還する命令を下したが、高浚は災いが起こるのを予期して、病と称して赴かなかった。文宣帝は高浚の身柄を拘束させた。高浚は都に連行されると、上党王高渙とともに北城の地下牢に収監された。 558年、高浚は高渙とともに殺害された。559年、太尉の位を追贈された。 子がなく、彭城王高浟の次男の高準が後を嗣いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高浚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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