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高田がん : ミニ英和和英辞書
高田がん[たかだがん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

高田がん : ウィキペディア日本語版
高田がん[たかだがん]

高田 がん高田 巌、たかだ がん、1930年5月23日 - )は愛媛県八幡浜市出身、東京都世田谷区在住の政治運動家特殊株主。「反共全国遊説隊」隊長、元自称「参議院比例代表研究家」。広義の行動右翼に該当するが仁侠系人士ではない。
== 経歴 ==

* 17歳で中学校代用教員に採用される〔正規の教員が復職するまでの臨時措置。当時として珍しい事ではない〕。敗戦直後の動乱期に新聞配達から日雇労働まで多彩な職業を変転し、その中でアプレゲール的信念としての反共主義に基づく「赤狩り」志向が醸成された模様。
* 1960年前後の安保闘争期に翼賛院外団活動を本格化させ、1963年4月の統一地方選挙で注目された東京都知事選挙に、「(誇り高き)選挙屋」と嘯き無差別大量立候補で社会的批判を浴びていた、肥後亨グループの公認(この時は団体名が『肥後亨』)で初立候補。
* 同年第30回衆議院議員総選挙でも肥後亨グループの背番号候補の一員に夫婦で名を連ねたが、革新系候補に対する選挙妨害、言論封殺と過度の当て擦りが問題視され、マスコミの報道規制(いわゆる泡沫候補の締め出し強化)の原因を作った。
* 翌1964年、大量立候補に関する詐欺罪で摘発された肥後亨が収監中に急死したため、暫く他団体に身を寄せた後、1969年に自らの一人一党『反共全国遊説隊』を旗揚げし〔政治団体届出はされていない〕、肥後から選挙屋稼業を継承。隊長と称して全国の知事選を含む各種首長選、国政選挙から市区議会議員補欠選挙に至るまで、1970年代を通じ選挙機会を見ては出馬。71選総てに落選し、その殆どにおいて法定得票数未満で供託金を没収されるも、露出の多さから一定の知名度を得た。
* 1965年第7回参議院議員通常選挙東京都選挙区)では、高田と阿部忠夫が『反共遊撃隊』公認で、小林哲也島名正雄が『高田がん後援会本部』公認で、福山卓美曾田治雄が『高田がん親衛隊本部』公認で、各々立候補し下位落選している。これらの内、阿部(おとぼけ正治郎 → 阿部十七〔『おとぼけ正治郎』名義で立候補できなかった理由については肥後の項を参照のこと〕)、小林(小林二二)、島名(島名二三)、曾田(曽田二一)、高田夫妻(高田十二・十八)は、肥後亨事務所の背番号候補の残党。
* 政治ゴロ行為〔特定候補への逆宣伝と減票工作を請け負う〕を巡る仲間割れから、1982年には長崎県警恐喝罪で摘発される。商法改正で特殊株主に厳しい規制が加えられた1980年代半ばより不活発化し、巨額の供託金出費を伴う国政選、知事選への立候補が見られなくなり、従って政見放送の機会もなくなったため、次第に忘れられた存在になる。
* ソ連崩壊後の平成初期にも散発的に立候補し、東京都議会議員補欠選挙では法定得票を上回る善戦振りを見せた事もあったものの、各右翼団体の最大のパトロンだった笹川良一国際勝共連合元名誉会長)の死去に伴い、完全に沙汰止みになる。2002年に一旦は活動再開を宣言し、地方選挙に立候補の動きを見せたが出馬には至らず。
* なんばいさお(『ニセ革新とマスコミを弾劾する会』、保谷市長選挙、練馬区長選挙に立候補)は元秘書。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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