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高田みずえ : ミニ英和和英辞書
高田みずえ[たかだ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

高田みずえ ( リダイレクト:高田みづえ ) : ウィキペディア日本語版
高田みづえ[たかだ みづえ]

高田 みづえ(たかだ みづえ、戸籍名:日高 みづえ(旧姓:高田)1960年6月23日 - )は、相撲部屋の「おかみ」で、元歌手・元タレント鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)出身。血液型はA型。夫は元大関大相撲力士で、現・二所ノ関親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信。長女はタレントのアイリ
== 来歴・人物 ==

=== アイドル歌手時代 ===
1976年フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18代グランドチャンピオンとなり、1977年3月25日に「硝子坂」でアイドル歌手としてデビュー
「硝子坂」「だけど…」「ビードロ恋細工」「花しぐれ」と4曲連続でヒット、1977年に第19回日本レコード大賞・新人賞、日本歌謡大賞・放送音楽新人賞、FNS歌謡祭・最優秀新人賞などの新人賞を受賞した〔他には、東京音楽祭・優秀新人賞、日本テレビ音楽祭・優秀新人賞、銀座音楽祭・グランプリ、新宿音楽祭・金賞、日本有線大賞・最優秀新人賞、全日本有線放送大賞・新人賞、全日本歌謡音楽祭・優秀新人賞など - 当時のファン倶楽部会報『さくらじま』第5号より。〕。同期デビューには清水健太郎狩人太川陽介榊原郁恵清水由貴子荒木由美子らがおり、特に榊原・清水(由)と共に当時「フレッシュ3人娘」とも呼ばれていた。
年末恒例の『NHK紅白歌合戦』にはデビュー時の1977年に初出場、翌1978年にも2年連続で出演。1979年は落選するが、その後1980年から1984年まで5年連続出場を果たし、過去8年間の歌手生活において合計7度紅白に出演した。
1978年3月27日フェスティバルホール(大阪)、同30日に東京渋谷公会堂でファーストコンサートを開催〔当初、大阪公演は3月29日の予定だったが、ピンクレディーの大阪追加公演に会場を譲る形で繰り上げられた。そのため、大阪公演後に京都に移動して生出演するはずだったKBS京都のラジオ番組も27日に録音して29日に放送されることになった。〕。8月17から19日にかけては、出身地鹿児島の鹿児島文化センター、指宿市民会館、川内市民会館で凱旋コンサート、同21日には大阪フェスティバルホール、31日には中野サンプラザでサマーコンサートを、それぞれ開催した〔東京・大阪での公演ではアニメソング・メドレーやピンクレディー・メドレー、山口百恵桜田淳子の持ち歌なども歌唱した。〕。またこの年には、「花しぐれ」でデビューから4曲連続オリコンベスト10入りを果たす。通算ベスト10入りは6曲。
1979年には『第30回NHK紅白歌合戦』を出場を逃すが、「子守唄を聞かせて」のB面に収録された「潮騒のメロディー」がロング・ヒットを果たし、TBSの『ザ・ベストテン』〔高田自身『ザ・ベストテン』の初登場は1978年3月の「花しぐれ」で、同番組の最高順位は8位だった。〕の「スポットライト」コーナー(1980年2月21日出演)では、高知県桂浜からの中継で歌唱披露した。
1980年7月発売の「私はピアノ」〔サザンオールスターズ(ヴォーカルは原由子、作詞作曲は桑田佳祐)のカバー。アルバム「タイニイ・バブルス」に収録。〕で再ブレイクし、日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。『第31回NHK紅白歌合戦』にも2年ぶりに出場した。その後、発売した「愛のイマジネーション」のB面に収録されたカバー曲「真夜中のギター」がヒット。1982年には、音つばめの曲をカバーした「愛の終りに」および、アリス谷村新司作詞・作曲で谷村自身がバックコーラスも担当した「ガラスの花」を発売した。1983年には横須賀恵(山口百恵ペンネーム)作詞の未発表曲「通りすぎた風」をカバー、同年「そんなヒロシに騙されて」〔「私はピアノ」と同じく、ボーカルが原由子、作詞・作曲が桑田佳祐のカバー。アルバム「綺麗」に収録。〕がヒット。翌1984年には競作曲の「秋冬」を発売する。
当時の所属事務所バーニングプロダクション、レコード会社はテイチク(現在はJVCケンウッド傘下)/UNIONで、レコードはすべて廃盤になったが、CDでシングルAB面収録ベスト盤やアルバム曲も収録した6枚組全集が発売された。
歌手業のほか、TVタレントとしても活躍する。特にTBSの『8時だョ!全員集合』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』等のゲスト出演時は、毎回のようにザ・ドリフターズのメンバーと水を掛け合ったり、物を投げ合うなどのコントを演じて、お茶の間の人気を博した。また、日本テレビの『カックラキン大放送!!』でも、新御三家の3人(野口五郎郷ひろみ西城秀樹)や研ナオコらとともにコントを演じ、観客の笑いを誘った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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