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高田 保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は日本の経済学者、社会学者。文学博士。歌人。文化功労者。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。 == 人物 == 米田庄太郎に師事。「総合社会学」を否定し、独自の視点からジンメルの掲げた「形式社会学」の彫琢に努める。佐賀県内の多くの学校の校歌の作詞も手がけている。「勢力論」を提唱したことでも知られる。 経済学者としては京都帝国大学経済学部で経済原論の講義を担当し〔『思想としての近代経済学』、75頁。〕、経済哲学担当教授の石川興二が憂国のあまり陸軍批判をしたことが原因で休職するとその後を引き継いで経済哲学の講義を担当した〔『思想としての近代経済学』、75-76頁。〕。この時高田から経済原論と経済哲学の講義を聴いたのが後に大阪大学やロンドン大学の教授を歴任した森嶋通夫である〔。東京商科大学(旧制)教授時の弟子に、白南雲(元朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議議長、元ソウル大学校教授)などがいる。 アメリカの経済学者であるM・ブロンフェンブレンナアーは高田を「日本のアルフレッド・マーシャル」と称し、功績を讃えている〔橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、230頁。〕。 高田が生前に遺した言葉としては、例えば「志は朽ちざるに在り(学問する上で心に決めた目的をいつまでも亡びないようにする)」などが有名である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高田保馬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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