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高田蝶衣 : ミニ英和和英辞書
高田蝶衣[たかだ ちょうい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ちょう]
 【名詞】 1. butterfly 
: [ころも]
 【名詞】 1. clothes 

高田蝶衣 : ウィキペディア日本語版
高田蝶衣[たかだ ちょうい]
高田 蝶衣(たかだ ちょうい、1886年1月30日 - 1930年9月23日)は、兵庫県津名郡釜口村字里(現:淡路市釜口字里)出身の俳人。旧制洲本中学校卒。中学の教頭・大谷繞石の影響で俳句をはじめ「ホトトギス」に投句、同人誌「落葉」を主宰。1904年、早稲田大学政経科入学。1906年、高浜虚子の 「俳諧散心句会」に参加し指導を受ける。同年、肋膜炎のため大学を中退し帰郷。故郷で小学校の教諭となるが、病のため続かず俳句を主とし「ホトトギス」「懸葵」に投句した。1908年に句集『島舟』(俳書堂)を出版。河東碧梧桐門とも交流があった。1917年に神戸湊川神社主典となったが、やはり病の悪化のため1919年に帰郷している。1930年、淡路島で死去。46歳。代表句に「この国の表裏をつくり山眠る」などがあり、清新な叙情性のある句風であった。没後1933年に『蝶衣句稿 青垣山』、1941年に『蝶衣俳句全集』が刊行されている。
== 参考文献 ==

*『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
*冨田拓也俳人ファイル ⅩⅩⅦ 高田蝶衣 」 2009年5月9日

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高田蝶衣」の詳細全文を読む




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