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髙登 渉(たかのぼり わたる、1908年(明治41年)5月7日 - 1962年(昭和37年)1月19日)は、長野県下伊那郡喬木村出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。本名は吉川渉(よしかわ わたる)。身長185cm、体重113kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 == 来歴 == 1926年(大正15年)に飯田城下で行われた自転車の大会に出場したが、途中で運悪くペダルが折れてしまった。しかしそこで諦めず壊れた自転車を担いで残りを走って優勝し、これが評判となり髙砂親方(元大関・朝潮)に勧誘され、高砂部屋に入門して1927年(昭和2年)1月場所で初土俵。 1931年(昭和6年)1月場所で新十両、5月場所で新入幕。1932年(昭和7年)1月6日に春秋園事件が発生すると、前頭4枚目から格上げされて新小結。この場所は負け越したが平幕に下がった5月場所から成績が上昇し、1933年(昭和8年)1月場所新関脇で7勝4敗、5月場所には横綱・玉錦と優勝を争い9勝2敗、大関目前まで進んだ。しかし1934年(昭和9年)1月場所を目前に控えながら胃潰瘍にかかり無念の休場、その後右膝を壊し大関の夢は断たれてしまった。 6尺を越す当時としては大型で長野出身であることから、「信州雷電」(為右エ門)の再来といわれた。1939年(昭和14年)5月場所を最後に引退、年寄・大山を襲名し分家独立、大関・松登を育てた。相撲解説で人気があり、独特の声色で「飴玉を転がすような」とたとえられた。1961年4月に東駒形に新部屋を建てて引越したが、翌1962年1月場所中に同部屋で心臓麻痺で倒れ、急逝した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高登渉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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