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北陸自動車道(ほくりくじどうしゃどう、HOKURIKU EXPRESSWAY)は、新潟県新潟市江南区の新潟中央JCTから滋賀県米原市の米原JCTへ至る高速道路(高速自動車国道)である。通称北陸道(ほくりくどう、HOKURIKU EXPWY)。 == 概要 == 新潟県から富山県・石川県・福井県・滋賀県へと至り東北自動車道、中国自動車道に並び国内の高速道路では3番目に長い路線であり、全線にわたって国道8号とほぼ並行している。 開通当初は長岡JCTより米原方面は西山ICからの番号(1 - 33)が振られる一方で、当時の長岡JCT - 新潟黒埼ICは関越自動車道の練馬ICからの通し番号(22 - 26)が振られていた。このときのキロポストは長岡JCTを起点にして朝日IC方面に向かうポストと朝日IC付近を起点として米原方面に向かうポストの2種類があり、同一路線上に同じ値のキロポストが存在する暫定的なもの〔北陸自動車道20周年記念誌(1993年 日本道路公団金沢管理局/編)〕であった。全線開通に合わせ整理統合することとなり、北陸道に並行するJR北陸本線に合わせて、米原方面行きを「上り線」、新潟方面行きを「下り線」とし、キロポストも米原JCT起点、新潟黒埼IC終点のものに変更された〔ただし、並行する国道8号は米原→新潟方向が上りである。このため、キロポストなども北陸道とは逆順となっている。〕。IC番号も米原ICから新潟方面に向かって各ICと小矢部(現・小矢部砺波)JCTなどの建設予定JCTやICに連続番号に変更した。これらキロポストやIC番号の変更に伴い、管制室の表示パネル、一般道路の案内標識、非常電話番号などが変更された。 なお、長岡JCTの構造は北陸道新潟方面から関越道東京方面が本線であり、北陸道の富山方面はこれに分岐・合流するランプになっている。 1988年(昭和63年)の全線開通の際、最後に完成したSAである名立谷浜SAには、全線開通の記念碑が建立されているほか、北陸道の全ICとJCTの形状を描いたタイルが設置されている。 現在の国道116号新潟西バイパス新潟西IC - 黒埼IC(当時は新潟黒埼IC)も北陸道として建設・開通したが、その後の北陸道の延伸工事に伴い、高速自動車国道から一般国道へ降格され無料開放された(このような区間は高速自動車国道では唯一である)。また、現在の関越道長岡JCT - 長岡IC、日本海東北道新潟中央JCT - 新潟空港ICも北陸道として建設・開通したが、前者は関越道長岡IC以南の区間の開通の際に、後者は日本海東北道新潟空港IC以北の区間が延伸開業した際に北陸道から分離され現在の名称になっている。このような経緯から、高速自動車国道の路線名としての北陸自動車道には新潟中央JCT - 新潟空港ICと長岡IC - 長岡JCTも含まれている。 全線を日本道路公団が建設・管理・運営していたが、2005年(平成17年)10月1日の道路関係四公団民営化後は朝日ICを境に東側の新潟中央JCT - 朝日ICを東日本高速道路(NEXCO東日本)が、西側の朝日IC(朝日ICを含む) - 米原JCTを中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理している。 敦賀IC - 敦賀トンネル付近は、土地利用の関係で、上下線全く別のルートを通っている。この区間は一部で当時の国鉄の北陸本線の廃線跡を使用しており、杉津PAの上り方面施設は杉津駅の廃駅跡に建てられたものである。 また、木之本IC - 武生ICと、朝日IC - 上越ICはトンネルが連続する区間である。特に前者の区間は、冬季に吹雪による視界不良や降雪によるスリップなどの交通障害が多発している。そのため標識で「山岳ハイウェイ」との告知がされ、チェーン脱着場も多数設けてある。とりわけ、敦賀IC - 敦賀トンネルは前述の理由で一度スリップなどで交通事故が発生すると、他路線では一般的な「反対車線に機材を投入する」という方法が使えない〔上下線が離れ、かつ左右も逆転している為。〕。そのため、特に冬季には木之本IC以北では滑り止め着用規制が掛かることが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北陸自動車道」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hokuriku Expressway 」があります。 スポンサード リンク
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