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高群 佐知子(たかむれ さちこ、本名:塚田 佐知子(つかだ さちこ、旧姓高群)、1971年4月1日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。滝誠一郎八段門下。秋田県および東京都の出身〔日本将棋連盟や女流棋士会の公式プロフィールで、2010年頃から「出身地」が秋田県から東京都に変更されている。その後、2010年11月27日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」では、高群本人が「秋田生まれだが(秋田で)育っていないので(寒いのは苦手)」と発言している。〕。女流棋士番号は20のち8。 == 棋歴 == 1984年、女流棋士養成機関である女流育成会に入会。1986年3月1日、当時の制度で(女流2級ではなく)女流3級でプロ入り。 1986年度、第9期女流王将戦B級で好成績を収め、A級に初昇格。1988年度、第15期女流名人位戦B級リーグでの成績により、A級に初昇級。 第1回(1990年度)女流王位戦のリーグ(1989年度)で8勝1敗の成績を挙げるも、挑戦者決定戦進出はならず(唯一の黒星は、対林葉直子戦)。 1991年度、第5回レディースオープントーナメントで準優勝(決勝三番勝負で清水市代に0-2で敗れる)。 第18期(1991年度)女流名人位戦A級リーグでB級に陥落するも、翌期の第19期(1992年度)女流名人位戦B級リーグでA級に即復帰。以降も、A級とB級を行ったり来たりする。 リーグ制度が変更になって1年目の第16期女流王将戦(1993年 - 1994年)挑戦者決定リーグに参加し、残留。 1996年度、第1回鹿島杯女流将棋トーナメントで準優勝(決勝三番勝負で林まゆみに0-2で敗れる)。同年度、第4期倉敷藤花戦で挑戦者決定戦に進出するも、竹部さゆりに敗れ、タイトル挑戦はならず。 第10期(1999年度)女流王位戦のリーグで中井広恵と4勝1敗・1位で並ぶが、リーグでは破った中井にプレーオフで敗れ、挑戦者決定戦進出を逃す。 2000年6月30日、二段昇段後90勝を達成し、女流三段に昇段。 2004年度、第12期倉敷藤花戦で挑戦者決定戦に進出するが、清水市代に敗れる。 同年度、第31期女流名人位戦B級リーグは4勝5敗の成績に終わり、初めてB級から陥落。翌年度からは、予選からの参加が続いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高群佐知子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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