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高萩万次郎(たかはぎのまんじろう、文化2年(1805年)- 明治18年(1885年)4月8日 )は、江戸時代後期・明治初期の博徒。 == 略歴 == 武蔵国高萩(埼玉県日高市高萩)の出身。姓は清水、別名を喜右衛門、「鶴屋」を屋号とした。父弥五郎は名主を務め、万次郎は長男に生まれたといわれる〔今川(1990)、p.131〕。赤尾林蔵に殺害された侠客・高萩伊之松の勢力を継承したとされ、居住地である高萩上宿を中心に「高萩一家」を構えた〔村松(1927)、p.148〕。 万次郎は当時、武州きっての侠客として知られ、主な縄張りであった飯能には関東一といわれる高市が立った。また遠方にも出張所を設けて勢力を伸ばし、東海道では原、三島の二か所、中山道では天神橋と上尾にそれぞれ縄張りを持ち、主だった子分を派遣して管理させた〔村松(1927)、p.147〕。武州の高名な侠客小金井小次郎、小川幸蔵、府中の田中屋万吉(藤屋万吉〔藤屋万吉ではなく、同じ府中の十手持ちであった田中屋万五郎を指すという説もある。(比留間一郎 「府中宿の八九三」『府中史談 第10号』 府中史談会、1983年)〕)らは皆、万次郎の盃を受けた弟分であったといわれる〔村松(1927)、p.146〕。 凶状手配を受けていた駿河の清水次郎長を、自宅である高萩上宿の「鶴屋」で匿った経歴がある。そのため次郎長は万次郎のことを生涯敬い、晩年まで彼のことを「親分」と呼び続けたという。一方で万次郎は次郎長を「次郎長」と呼び捨てにすることができた〔増田(1974)、p.143〕。そのような縁から、万次郎子孫の家に次郎長と山岡鉄舟、ならびに万次郎自身の写真が伝わっている。次郎長と鉄舟のものは天田五郎(天田愚庵)が写したものとされ、万次郎のものは、浅草奥山の写真家江崎礼二によって撮影されたものである〔増田(1974)、p.135〕。 藤久保重五郎とは兄弟分で〔今川(1990)、p.132〕、江戸屋虎五郎、藤久保重五郎とともに関東取締出役の道案内人を務め、文久元年(1861年)には甲斐国竹居村(山梨県笛吹市八代町)の博徒竹居安五郎の捕縛に携わったとされる〔今川(1990)、p.132〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高萩万次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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