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高谷 茂男(たかや しげお、1937年1月1日 - )は、日本の政治家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 == 経歴 == 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経学科卒業。1959年、岡三証券に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年~)、岡山市商店会連合会副会長(1985年~)、岡山商工会議所副会頭(1995年~)、社団法人岡山西法人会会長(2003年~)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。2005年9月にチボリ・ジャパンを退社。岡山市長選挙に出馬するため、サンヨープレジャー代表取締役ほか、役職を全て返上した。 2005年10月、高谷は、自由民主党・社民党2党の推薦を受け、岡山市長選挙に立候補した。この市長選は、自民党の要請を受けて第44回衆議院議員総選挙に出馬する前市長の萩原誠司の辞職に伴って行われたものである。萩原が自民党の要請により出馬した衆議院岡山県第2区は、自民党の熊代昭彦衆議院議員の選出選挙区であったが、熊代は小泉純一郎首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じたため、第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、萩原の岡山市長辞職・総選挙出馬により、自らの出馬を断念した。熊代は2005年10月の岡山市長選挙に高谷の対立候補として出馬したが、自民党・社民党のバックアップを受けた高谷が当選した。 2008年6月、全国市長会副会長に就任。同年10月、岡山市及び周辺4町が合併し、岡山市の政令指定都市移行が決定。そのため東京・霞ヶ関の総務省に鳩山邦夫総務大臣を訪問し、感謝の意を表明した。同年11月、メールマガジン「市長ニュースおかやま」(愛称:しげちゃんメール)の発行を開始し、2013年の市長退任まで継続された。 2009年4月、岡山市が全国18番目の政令指定都市に移行した。同年5月、ホテルオークラ岡山(岡山市中区)で開催された指定都市市長会議で議長を務めた。再選をめざして立候補した同年9月の岡山市長選挙では、政令指定都市にふさわしい中心市街地の活性化や、老朽化した岡山市民病院(岡山市北区天瀬)の建て替え問題、旧国鉄岡山操車場跡地(岡山市北区北長瀬表町)の活用のあり方が主な争点となり過去最多の6名の候補者による選挙戦となったが、行財政改革路線の継続を訴え、元岡山市長の安宅敬祐らを破り、再選を果たした。 2013年の岡山市長選挙には立候補せず、後継に元国土交通省国土政策局長の大森雅夫を指名し、引退を表明。2013年10月8日に任期満了に伴い市長職を退任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高谷茂男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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