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高輪原の戦い(たかなわはらのたたかい)は、大永4年1月13日(1524年2月17日)に武蔵高輪原で行なわれた相模の北条氏綱軍と武蔵の扇谷上杉朝興の合戦である。 == 合戦の経緯 == 北条家では北条早雲の死後、第2代当主となった氏綱が父の遺志を継いで相模小田原城を中心にして武蔵方面への勢力拡大を狙い始めた〔 小和田哲男 著『戦国合戦事典‐応仁の乱から大坂夏の陣まで』PHP研究所、1996年、p.77〕。武蔵に勢力を張る扇谷上杉朝興との対決である。氏綱は扇谷上杉家の家臣に対する調略を進め、大永4年(1524年)1月、扇谷上杉家の家臣で江戸城代であった太田資高を寝返らせた〔。 氏綱はこの機に乗じて武蔵侵攻を開始。対する朝興も氏綱を迎撃するために大軍で高輪原に進出し、北条軍と上杉軍は1月13日に同地で衝突した〔。この戦いは両軍共に激しく一進一退を繰り返し、両軍揉み合う事7、8度という死闘であった〔。だが最終的に上杉軍は北条軍に押されて後退し、江戸城に撤退する〔。しかし氏綱は朝興を猛追して江戸城に殺到し、朝興は江戸城を支える事もできなくなる〔。朝興は江戸城を放棄して河越城に逃走し〔 小和田哲男 著『戦国合戦事典‐応仁の乱から大坂夏の陣まで』PHP研究所、1996年、p.78〕、この合戦は北条軍の勝利に終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高輪原の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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