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高辻 長直(たかしな ながなお、嘉吉元年(1441年)-大永2年9月6日(1522年9月25日))は、室町時代後期・戦国時代初期の公卿。高辻継長の子。 == 経歴 == 文明17年(1485年)に従三位に叙され、長享2年(1488年)に参議に任ぜられる。延徳元年(1489年)には式部大輔を兼ねて、北野の長者となった。33年間にわたって氏長者の地位にあった〔菅原氏の氏長者である「北野の長者」は他氏の長者と異なり、原則終身制である。〕〔『公家事典』には長直の氏長者就任を永正15年(1518年)とするが、『室町戦国期公家社会と文事』(P23・119)には前任の長者である唐橋在治の死去によって長直が氏長者に就任したとする。〕が、東坊城和長は延徳4年(1492年)に長直が権中納言になった際に彼が「芸無才」にもかかわらず長者の地位に就けたことで以後昇進を遂げていくことに怒りを表している〔『和長卿記』延徳4年9月21日条〕。更に永正3年(1506年)に危篤状態となった長直が権大納言に任ぜられたのも彼自身の功績ではなく、死の間際の父親を昇進させてほしいと言う息子章長への同情と章長自身および五条為学の功績によるもので、長直自身の功績は考慮されなかった〔『実隆公記』永正3年8月9日・10日条〕(なお、その後長直は奇跡的に回復している)。とはいえ、同族の唐橋在数が九条政基に殺害された時には一族を率いて政基父子を朝廷に告発し、孤児同然となった五条為学を養育して五条家を存続させるなど、氏長者としての役割を果たした。また、自らの才能を認識していたためか、息子章長と五条為学を東坊城和長の門下としている〔『和長卿記』『芥拾記』明応5年12月1日条〕。永正8年(1511年)に正二位に叙せられ、大永2年(1522年)に72歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高辻長直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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