|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 高 : [たか] 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 拳 : [こぶし] 【名詞】 1. fist
高野 拳磁(たかの けんじ、1964年2月16日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は高野 俊二(たかの しゅんじ)。福岡県北九州市出身 キャッチフレーズは野良犬。実兄のジョージ高野(ザ・コブラ)もプロレスラー。 == 来歴 == 1981年12月8日、新日本プロレス・蔵前国技館での新倉史祐戦でデビュー。豪快な勝利で将来のエースを予感させた。翌1982年初め、協栄ボクシングジムより新日本プロレスへ日本人初のボクシング世界ヘビー級王者を誕生させる計画が持ち込まれ、候補として高野がピックアップされた。その後当時WBA世界ライトフライ級王者だった渡嘉敷勝男とハワイでトレーニングを開始するが、毒入りオレンジ事件の余波でプランは中止。プロレスに復帰後すぐにカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングに武者修行に出発。 1984年、長州力らの離脱による日本人選手層の薄さをカバーするために帰国。未完の大器という扱いでメインやセミでタッグパートナーとして抜擢され、この当時暗黒増殖団としてはびこっていたマシン軍団との抗争の一派に名を連ねる。また一方でビッグネームの外国人選手との対決も多く組まれたが、対戦成績は芳しくなく、デビッド・シュルツやビリー・ジャックとのシングルマッチでは1分前後で敗退という苦い経験もする。しかし、ブルーザー・ブロディには気に入られており、4度のシングル戦のうち後半2回はブロディの希望だったことを、後に雑誌のインタビューで高野本人が語っている。しかし、生来のムラッ気から試合毎の落差が激しく、マシン軍団との6人タッグマッチでのコーナーポストでの戦意喪失によるKO負けや、あまりのふがいなさにアントニオ猪木がリングに飛んできて活を入れるというシーンまであった。 1985年、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤と共にカルガリーハリケーンズを結成し、新日本プロレスを離脱。以降は全日本プロレスを主戦場とし、1986年からはAWA地区への二度目の海外武者修行へ。覆面レスラーのスーパー・ニンジャ(''Super Ninja'')に変身してマサ斎藤のパートナーとなり、ニック・ボックウィンクル、レイ・スティーブンス、カート・ヘニング、レオン・ホワイト、スコット・ホールらと対戦した。1987年にはNWAの傘下団体だった太平洋岸北西部のPNWにも出場し、リップ・オリバーと組んで7月25日にNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を獲得している。同地区では「アメリカン・ニンジャ」ことブライアン・アダムスとも抗争を展開した。 しかし帰国前後にスーパー・ストロング・マシンとヒロ斎藤の新日復帰を受けてカルガリーハリケーンズは解散となり、「'88エキサイト・シリーズ」から正式に全日本プロレス所属となる。2代目タイガーマスクや高木功、田上明、仲野信市とともに「決起軍」を結成するが、ジャイアント馬場の「全然決起しないから」の一声ですぐに解散となる。しかし、馬場は高野の素材に期待をしており、積極的にジャンボ鶴田とのタッグをマッチメイクしていた。 1990年にSWSへ移籍し、新日本プロレスから移籍していた兄のジョージ高野とパライストラを結成する。ジョージとの兄弟タッグで1992年4月16日に谷津嘉章&キング・ハクからSWSタッグ王座を奪取し、WWFから来日したナチュラル・ディザスターズ(アースクエイク&タイフーン)ともタイトルを争った。SWS解散後は、ケンドー・ナガサキを始めとする「道場・檄」のメンバーとNOWを旗揚げするものの、プレ旗揚げ戦後に兄弟揃って脱退。 1993年、ジョージとともにPWCを設立。しかし兄弟仲が険悪となったためジョージのみ離脱。これは、活動資金をジョージが出していたが、拳磁の団体経営に不満があったためとされる。 PWCは所属選手の不足と高野自身の素行不良が重なって旗揚げ後数か月で財政難となり、観客数も伸び悩んで興行を打つのもままならない状況になる。約1年後、当時所属していた黒田哲広をはじめとする選手達が離脱(脱走)。一人残った拳磁は、デスマッチ路線に活路を見出そうと将軍KYワカマツ率いる宇宙パワー軍との抗争を開始。宇宙パワーX、同XXと増殖していく宇宙パワー軍を相手に、高野は金村ゆきひろ(現:金村キンタロー)、荒谷信孝(現:荒谷望誉)、松崎和彦らと「地球防衛軍」を結成。有刺鉄線ボードや五寸釘ボードを用いる血みどろの戦いが繰り広げられた。その際、後のキャッチフレーズとなる「野良犬」と呼ばれるようになる。「野良犬」の由来は、宇宙パワー軍との闘いに敗れた後のマイクアピールで、「リングは盗まれ事務所も閉鎖、みっともなくて情けねえよ。だがよ、俺は飼い犬にはならねえ!!」と絶叫したことによる。当時のインディー団体の交流組織であったレスリング・ユニオンに加盟したため、他のユニオンの加盟団体にも上がっていた。 このころピザーラのCMに出演し、「ピザーラ、お届け!」のセリフが受けて脚光を浴びた。続いて作られたピザーラの深夜限定CMでは背景真っ黒で音楽も無い中たった一人で視聴者を威圧するように「こんな遅くにテレビ見てんじゃねえよ、ピザーラ閉まっちまったじゃねえかよ」と語るシーンが深夜族に受けて、同じ深夜の大人気番組である「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」に山崎邦正などの当時の若手お笑い芸人を怖がらせたり襲う役などで度々出演するなど、プロレスファン以外にも知名度を上げた。 1994年には西日本プロレスに参画するもわずか1試合で電撃離脱し、PWCを復興。新たな戦力を確保し、持ち直したかと思われた。またこの時期、みちのくプロレスに覆面レスラー「ザ・グレート・ゼブラ」として登場している。しかしPWCは所属選手が一斉に離脱し、開店休業状態となる。なお、復興したPWCにおいてはビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」を考案し、それをPWCを離脱した選手により旗揚げされたDDTプロレスリングが受け継いで、恒例イベントとして今日まで定着している。 その後はFULLに参戦し「ジャイアント・ドスカラス」になったりもしたが、徐々にプロレス界からフェードアウト(引退表明はしていない)。そのキャラクターを活かし、2006年頃まで映画やVシネマに出演していた。その後はアメリカへ行き、2009年では実業家として法人を立ち上げているという〔『別冊宝島1678 プロレス真実一路』、宝島社、2009、49頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高野拳磁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|