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高野 文子(たかの ふみこ、1957年11月12日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身。看護師として勤める傍ら、1979年『JUNE』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー。従来の少女漫画とも少年・青年漫画とも隔絶した作風が注目され、大友克洋やさべあのまなどとともに漫画界の「ニューウェーブ」の旗手と目された。デビュー30年で単行本6冊ときわめて寡作であるが、強弱のない単純な線と独特な演出方法、一読では理解しがたい心理描写などが特長とされる〔『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』カンゼン、85頁〕。 夫はフリー編集者の秋山協一郎。秋山はワセダミステリクラブ出身で、奇譚社の発行人として大友克洋の『GOOD WEATHER』(1981年)『BOOGIE WOOGIE WALZ』(1982年)や高野の『おともだち』(1982年)を刊行している。秋山狂介名義で大藪春彦の評論・研究もおこなう。 == 経歴と作品 == 田舎町で育ったため、少女時代は学年誌に掲載された手塚治虫などの作品を除いてあまり漫画を読む機会が無く、図書館で借りた児童文学などを読んで過ごした。新潟県立新潟江南高等学校衛生看護科2年生のとき、同級生から見せてもらった萩尾望都の作品(『11月のギムナジウム』『モードリン』『白き森白き少年の笛』)をきっかけに萩尾作品にのめり込む。同じころ石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を参考に自分でも作品を描くようになり、萩尾の作品も載っていた『別冊少女コミック』に投稿、努力賞となる。続けて30ページの作品を投稿するが、落選。これはギムナジウムを舞台にした萩尾望都にそっくりの作品であった〔おしぐちたかし「高野文子 INTERVIEW」『漫画魂』、白夜書房、2003年、86頁-96頁。まんがの森『月刊まんがの森』2002年3月号初出〕。 投稿を続けるうちにプロを意識するようになり、高校卒業後に上京。東京都立衛生看護専門学校に2年就学、卒業後は看護師として2年務め、その傍ら高校時代の文通相手の紹介で同人サークル『楽書館(らくがきかん)』に参加。メンバーに教えられ『COM』や岡田史子、永島慎二などの作品を知る。1977年『楽書館』に「花」を掲載。同1978年、『楽書館』メンバーのつてで、新雑誌『JUNE』に「絶対安全剃刀」を掲載。この作品が商業デビュー作となり、以後『JUNE』や同じく新興のマイナー漫画誌『マンガ奇想天外』に作品を発表していく。1980年には『JUNE』でしりあったささやななえから小学館編集長に紹介され、以後『プチフラワー』などの大手の漫画誌にも作品を掲載するようになる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高野文子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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