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高野 蘭亭(たかの らんてい、宝永元年5月7日(1704年6月8日)? - 宝暦7年7月6日(1757年8月20日))は江戸時代中期の盲目の漢詩人。諱は惟馨、字は子式。別号に東里。 明の格調派を志向した作風は当時の人々に学びやすいものとして受け入れられ、参勤交代で江戸に赴任した全国各地の大名や、南郭と確執のあった太宰春台の門人など、多くの人物に漢詩を教授した〔。 == 名称 == 諱惟馨、字子式は『書経』君陳編「我聞曰至治馨香感于神明。黍稷非馨。明徳惟馨。爾尚式時周公之猷訓。」(我聞く、曰く、至治の馨香、神明に感ず。黍稷馨しきに非ず。明徳惟れ馨し。爾尚(ねがは)くば時(こ)の周公の猷訓に式(のっと)れ。)に拠る〔高橋昌彦「高野蘭亭伝攷(上)」『語文研究』第60号、九州大学国語国文学会、1985年〕。別号の東里は江戸の東部に住んでいたことに拠ると思われ、父の号百里との関係は不明〔。有徳者を意味する「桃李」の意とも考えられる〔。 号蘭亭は王羲之『蘭亭序』、父の師服部嵐雪の別号嵐亭との関係が考えられる〔。蘭亭は本来俳号で、生前は東里の号がより用いられていたが、没後詩集が編まれた際、同門中根東里等同号の人物との混同を避けてか『蘭亭先生詩集』と題され、以降蘭亭の号が定着した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高野蘭亭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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