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高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は日本の陸上競技選手、指導者。男子400mの日本記録保持者である。静岡県富士宮市出身。富士市立吉原商業高等学校、東海大学体育学部卒業。東海大学大学院修了。東海大学体育学部競技スポーツ学科専任教授、東海大学陸上競技部監督。日本スプリント学会会長。日本陸上競技連盟理事。北京オリンピックおよびロンドンオリンピック陸上競技日本選手団監督。 == 経歴・人物 == 富士宮市麓生まれ。高校から陸上競技に本格的に取り組む。当初は棒高跳を専門にしていたが高校1年時の練習中にひざを故障、足が速かったこともあって短距離に転向し、400mを中心としたスプリンターとなる〔読売新聞 2005年1月9日東京朝刊、静岡版、静岡2面、33ページ〕。東海大学進学時は文学部に入学したが後に体育学部へ進み、学部卒業の後は大学院修了を経て母校の講師に就任した〔朝日新聞 1996年6月8日朝刊、静岡版、静岡面〕〔髙野進プロフィール 日本ランニング振興機構. 2012年3月15日閲覧〕。1991年の世界選手権400mは決勝進出を果たして45秒39で7位入賞。1992年のバルセロナ五輪400mでも決勝進出、日本のオリンピック短距離選手として1932年ロサンゼルス五輪の吉岡隆徳以来となる60年ぶりのファイナリストとなり45秒18で8位入賞の成績を残した〔読売新聞 1992年8月4日東京夕刊、夕一面、1ページ〕。 オリンピックはロサンゼルス・ソウル・バルセロナ、世界選手権はヘルシンキ・ローマ・東京といずれも3大会連続で出場した。アジア競技大会は1982年ニューデリー大会、1986年ソウル大会、1990年北京大会の3大会連続で選出され、400mはニューデリー・ソウルの2大会連続で優勝するなど4枚の金メダルを獲得した〔日本陸上競技連盟七十年史編集委員会 (1995). 1097-1099ページ〕。日本選手権は200mを1度(1983年)、400mで7度(1982、1985-88、1991-92年)の優勝を飾った。 日本記録は200mと4×100mリレーをそれぞれ1回、4×400mリレーを2回、そして400mは1982年5月の第61回関東学生陸上で46秒51を記録して以来13回にわたって更新した〔日本陸上競技連盟七十年史編集委員会 (1995). 704, 706, 713, 714ページ〕。1991年第75回日本選手権400m決勝で記録した44秒78は2015年2月現在も日本記録である。 1994年にアリゾナ大学へ1年間留学〔読売新聞 1994年4月13日東京朝刊、スポーツB面、18ページ〕、この渡米中にカール・ルイスのコーチであったトム・テレツから理論指導を受けている〔日本経済新聞 2003年8月5日夕刊、13ページ〕。1995年から母校の陸上競技部短距離ブロックコーチを務め、1996年1月に競技生活を引退した後は母校を拠点に研究を続けている〔日本経済新聞 1996年1月26日朝刊、37ページ〕。コーチとして末續慎吾、宮崎久、山口有希、塚原直貴らを指導。末續を世界選手権200mの日本人初メダリスト、日本記録・アジア記録保持者へと育て上げた。また2003年に発足した日本オリンピアンズ協会の理事を務めた〔9月5日「日本オリンピアンズ協会(OAJ)」発足 日本オリンピック委員会 (2003-09-08). 2012年3月15日閲覧〕。2006年には神奈川県厚木市にレストランを開業している〔aff(あふ)バックナンバー 旬のインタビュー 第5回 東海大学助教授 高野 進さん 農林水産省(2007-08). 2012年3月15日閲覧〕。2007年3月に日本陸上競技連盟理事に就任〔日本経済新聞 2007年3月13日朝刊、41ページ 〕。強化委員会短距離部長、2007年3月から2012年9月までは強化委員長を務め、オリンピック・世界選手権の陸上競技日本選手団監督を歴任した。2008年に特定非営利活動法人日本アスレティックスアカデミー(現・日本ランニング振興機構)を設立して理事長を務め、日産スタジアム・アスレティクスアカデミーなどの陸上教室を開催して幅広い年齢層を対象に陸上の楽しさを教えている〔各アカデミーの紹介 日本ランニング振興機構 2012年3月15日閲覧〕〔読売新聞 2007年7月7日東京夕刊、子供A面、10ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高野進」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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