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高階 基章(たかしな の もとあき)は、平安時代末期の廷臣。叔父の木工頭・高階為章の養子。実父は醍醐源氏の但馬守・源家実。 == 概要 == 保延2年(1136年)正月に右近衛将監に任じられる。康治元年(1142年)12月に子の為泰に近衛将監を譲る。 詳しい事跡は不明だが、娘が平清盛の室となり、保延4年(1138年)に嫡男・重盛を、翌年には次男・基盛を産んでいる。平氏棟梁として昇進を重ねる清盛に対し、正六位相当の官職である右近衛将監に就いていたとするとかなり身分が低いことになる。清盛が中務大輔として朝廷の公事に従事する際に近衛将監が関与しており、職務上基章と接点があった。 高橋昌明(『清盛以前 増補・改訂版』・『平家の群像』)は、『台記』康治元年(1142年)6月7日条によると摂関家の藤原忠実が基章の妻の况と通じて密かに娘を産ませており、清盛の妻はその娘ではないかと推測している。 しかし元木泰雄は(『藤原忠実〈人物叢書〉』)この説に対し、それなら清盛の妻になっていると書くだろうと反論している。実際『台記』の記述ではこの娘の年齢も宮仕えの歴も夫の名も書かれておらず、忠実も長年本当に自分の子なのか疑っていたという。また複数の妻がいる時代だったのもあり、この娘と清盛室が同母だったのかも不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高階基章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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