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美麗島事件(びれいとうじけん、高雄事件とも称す)は1979年12月、世界人権デーに台湾高雄市で行われた雑誌『美麗島』主催のデモが、警官と衝突し、主催者らが投獄されるなどの弾圧に遭った事件。台湾の民主化に大きな影響を与え、今日の議会制民主主義や台湾本土化へと繋がった。また江鵬堅や陳水扁も、逮捕者の弁護団に参加している。 雑誌名の「美麗島」はポルトガル語のフォルモサに由来する台湾の異称(詳しくは台湾の歴史参照)。 == 歴史背景 == === 党外運動 === 「党外」とは国民党が一党独裁で台湾を統治していた時期に「独裁反対・民主自由化の実現」を目標に活動していた政治組織又は個人を意味する用語である。初期の「党外」活動者は主に雑誌を通じて自己の政治理念を主張する形態(雷震の『自由中国』などが代表例)であったが、1970年代以降、選挙活動を通して政治理念の浸透と組織化を図るようになった。 党外の最初の組織化の試みは、1978年に中央民意代表補選選の際、非国民党の候補者として康寧祥﹑張春男、黄天福、姚嘉文、呂秀蓮等が立候補し、選挙期間を通じて黄信介、林義雄、施明徳を中心に台湾党外人士助選団が設立され、党外候補者の後援を行った。具体的には各種座談会や記者会見、共同政見公約発表会といった活動である。助選団の総幹事には施明徳が選出された。 助選団の支援の下、宣伝ビラ、パンフレットの頒布などの大規模な宣伝活動により党外候補者は大きな影響力を獲得した。しかし1978年12月16日にアメリカ政府による中華民国との断交が発表されると、政局の混乱を予想した蒋経国は臨時条款に規定される緊急権を発動、選挙の中止と選挙活動一切の停止を宣言した。 この決定に対し党外勢力は反発、許信良、余登発などは12月25日に『党外人士国是生命』の中で選挙の実施と、台湾人による台湾の未来の決定を要求した。1979年1月21日、党外運動の中心人物であった余登発が叛乱罪で逮捕されると、当時桃園県長であった許信良は翌日二十数人の党外活動家を率いてその釈放を求めて行動、国民党統治下の台湾における初めてのデモへと発展した。 余登発は逮捕後、施明徳などの支援を受け党外活動家60人による「人権保護委員会」を結成、3月9日の初公判時には姚嘉文を弁護人として出廷させ、また委員会はアムネスティ・インターナショナルと協力して保釈運動を続けると同時に施明徳らによる党外雑誌の創刊準備が行われていた。4月20日、監察院は許信良の弾劾案を可決、委員会はこの弾劾決議に関しても組織を挙げて反対運動を起こした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美麗島事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kaohsiung Incident 」があります。 スポンサード リンク
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