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高鳥順作 : ミニ英和和英辞書
高鳥順作[たかとり じゅんさく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [とり]
 【名詞】 1. bird 2. fowl 3. poultry 
: [じゅん]
  1. (adj-na,n,n-suf) order 2. turn 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 

高鳥順作 : ウィキペディア日本語版
高鳥順作[たかとり じゅんさく]
高鳥 順作(たかとり じゅんさく、1868年5月5日明治元年4月13日) - 1958年昭和33年)2月8日)は、新潟県政治家実業家
== 生涯 ==
能生谷村平(現糸魚川市平)の高鳥半五郎の長男として生まれる。実家は貧しい農家であり小学校卒業後も親の手伝いをしながら夜学に通う生活であった。農村の開田工事をしていたが24才の時に登記所の整地工事を入札したのが土木請負いのはじまりで高鳥組をおこし、新潟県下の公共事業を請負っていくようになる。主だった工事として明治末期の加治川改修工事〔堤防上の桜の木はこのとき植えられたが高鳥も寄付している〕、直江津-富山間の鉄道(北陸本線。現在のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインあいの風とやま鉄道線)建設工事〔「開通する富直線」時事新報 1913年3月23日 神戸大学附属図書館新聞記事文庫〕がある。鉄道建設工事は郷津-有間川間を高鳥組が請負ったがさらに名立-青海間も高鳥組が特命で請負うことになった〔『日本鉄道請負業史 明治編』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。その後政界入りにより長男の博〔『人事興信録. 第11版(昭和12年) 』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕に高鳥組を継がせたがその後も宮城県登米郡米山町短台耕地事業〔短台谷地の様子 宮城県公式ウェブサイト〕を手掛けることになる。ここは北上川迫川にはさまれた沼地でありこの干拓事業では何人も失敗していた。高鳥は1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)までかかった大事業に成功し水田1146ヘクタール、畑70ヘクタールを造成した。これにより600ヘクタールの耕地を手に入れ大地主となり農地改革まで多額の小作料がはいっていた。
さらに銀行業に進出する。高鳥は北陸本線建設により成功した事業家として1914年大正3年)能生銀行専務に就任する〔能生銀行『日本全国諸会社役員録. 第23回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。能生銀行は1897年(明治30年)の創立で旅館業や魚業者相手に取引をしていたが1913年(大正2年)に北陸本線の開通により宿場町の役割はおわり、数年続いた不漁により能生銀行は伸び悩んでいた。高鳥の就任した大正3年下期は貸付金の欠損9282円が生じ経営危機に陥った。高鳥は請負業を営んでいた関係でその取引先に対し選別して広く融資をおこなった。これにより貸出額は倍増し業績も回復し毎年純益を出すようになった。さらに能生谷村にあった公益銀行〔公益銀行『日本全国諸会社役員録. 第34回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕の株を買収し頭取におさまり1926年(大正15年)に両行を合併し能生銀行を設立した。その後も根知銀行〔所在地西頸城郡根知村『日本全国諸会社役員録. 第38回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕、黒部商事〔西頸城郡西谷内村にあった早川銀行が富山県の黒部銀行に合併され早川支店となっていたが支店が廃止されることになり黒部商事が支店業務を継承した『第四銀行百年史』795頁〕、大和川銀行〔所在地西頸城郡大和川村『日本全国諸会社役員録. 第45回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕を合併し安定した業績をつづけるようになっていた。しかし戦時になると銀行統制が進められるようになり能生銀行は1943年(昭和18年)3月に第四銀行に合併されることになった。なお高鳥は第四銀行の顧問に就任した。
政治家としては1910年(明治43年)3月西頸城郡会議員に選ばれたのが始まりで1915年(大正4年)3月には衆議院議員に当選。大糸線建設促進〔「衆議院本会議 議事日程 松本糸魚川間鐵道速成ニ關スル建議案(高鳥順作提出)」『官報』1925年3月26日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔「鉄道建設線の工事認可指令」国民新聞 1931年8月30日 神戸大学附属図書館新聞記事文庫〕や能生築港〔「衆議院本会議 議事日程 第十 漁港避難港修築國庫補助法制定に關する建議案(高鳥順作外二名提出)」『官報』1917年7月11日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔「指定港湾九十六港内定」中外商業新報 1929年6月2日 神戸大学附属図書館新聞記事文庫〕に尽力する。1925年(大正14年)帝国議会代表としてワシントン万国議員会議に出席し1927年(昭和2年)にもパリ万国議員会議に出席〔「万国議員会議に民政党から出席する三氏」大阪朝日新聞1927年6月16日 神戸大学附属図書館新聞記事文庫〕。1932年(昭和7年)9月に多額納税者として貴族院議員に当選する〔議員勅任『官報』1932年9月30日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。
1918年(大正9年)から1946年(昭和21年)までは能生町長を務める。能生町は水質が悪く井戸が少なかった。そのため都市部でも珍しかった上水道の敷設事業を周囲の反対を押し切り進め1930年(昭和5年)7月に完成させた。終戦後公職追放にあったが1952年(昭和27年)に再び能生町長となる。しかし病に倒れ闘病の末1958年(昭和33年)2月に亡くなった。孫の高鳥修、ひ孫の高鳥修一も衆議院議員に当選している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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